死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『アメリカン・ナイトメア』 (2000) アダム・サイモン

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とてもいいこといっぱい言ってるよねホラーというおそらく世間から一番不当な評価を受けているであろう恐怖分野が実は絶対的にいちばん偉い地点に君臨してるということが小学生にでもわかるように作られたというこれはホラーの黄金時代について真摯に多角的な考察をしてしまっている素晴らしいドキュメンタリーなのでホラーを恐怖度でのみしか評価する術を知らない不幸な人達は全員見ればいいよ。ロメロ様の傑作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の中にベトナム戦争や公民権運動の影を見いだしたりトム・サヴィーニの超絶リアル死体造形にベトナム従軍体験時代の本気の死体散乱の記憶が深く影響を与えていたことなどを本人が嬉しそうに証言するのでやはり世間的にあぶないと思われるのは仕方が無いような要素もありながらも基本的にはホラー界の重鎮たちとその他正体不明の教授たちのすばらしい感動的な絶賛発言でのみ構成されています。やはり中でも本物の死体を多く見れたので戦争体験はよかったとかのトムサヴィーニの頭おかしい発言がデンジャラスでやばいんですけどいやでもその恐怖がなぜに産み落とされなければならなかったのか『ゾンビ』の生ける死者たちを現実のショッピングモールの映像と重ねまさにあの浮浪する死者の姿は大量消費社会に飽和した我々自身であったのだと適確すぎることばかり言うので楽しいです。とりあえず最低限ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』見てから改めてこの映画で復習してどれだけホラーが高尚な精神で誕生してしまっているのかを親切に解説されてしまえばいいよ。まじで。作品は作られた時代の社会情勢と密接に結びつきながらそしてその時代に警鐘を鳴らし恐怖の意味を問う。時代の恐怖を描きながらそれを恐怖と感じれない無神経さが社会的な暴力に対する寛容へと至るのであり恐怖を恐怖として感じる健全な感情こそ我々が喪失してしまった正さであったのでありあの時代には確かにかろうじて人々に正しさが存在した健全な素晴らしい時代だったのである。音楽はゴッドスピードユーブラックエンペラーなので壮絶なマッチングがかっこよすぎます映画好きならとりあえず片腕失ってでも全員みろって話です200点
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『関東無宿』 (1963) 鈴木清順

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角刈りがかっこよすぎる。男が世界一イカす髪型って角刈りなんじゃないのかしらマジで。いや正確には角刈りが似合う世界一選手権は日本人が表彰台独占だ!なぜなら外人の金髪の軟弱な髪質ではあの勇ましい角刈りが際立たないからだ!ましてや黒髪といえどアフリカ系のチリチリ縮れている髪質で角刈りなんてそんな冒涜的な行為は任侠道においては許されない!アフリカ人のヤクザなんているか?彼らは自然と大地をこよなく愛する民族なのだ。ファック!だから相当それはありえないぞなもし!チリチリ縮れまくりはもはやパンチパーマとして確固とした独立したブランドを既に確立してしまっているからだ!そしてパンチ的な角刈りという高等な合わせ技もあるにはあるがあれは邪道と結論づけざるをえないので初心者にはおすすめできない!なぜならそれは人工的な加工を施した男らしい装飾行為としてのパーマネントなのか先天的な天然のパーマネントなのか角刈りのパンチパーマは第三者的にはその判別が難しいからだ!天パなのに威嚇されるというのは極道にとってこれ以上不名誉なことはないのでそれは加工したパンチであろうと角刈りのパンチの時点でひとは舐められないぞとの防御体制が整うという不可抗力があるからです!そうだからいちばん潔い男子的な髪型それは角刈りをおいて他にはないわけ!しかもそれはオシャレさも兼ね備えながらのあの威圧力!横を刈り上げながらも前髪を残すその未練に男の魅力を背中以上に物語っているとしかいいようのない色香!なんてオシャレなんだろう!前髪の醸すセクシーさは女子のハートをイチコロなのだ刮目して見るべき!オシャレ坊主?坊主にオシャレもくそもないというのが任侠道における坊主のポジション!あれは迫力そのもの!でも男子たるもの極道といえども異性の視線をも視野に入れた角刈りこそがベストな選択!だからこそ髪型世界一!日本人の角刈り世界一!というか実は角刈りに加えて小林旭の眉毛のかっこよさも天下一なのですがそれを書くと7万字以上越えるの確実なのでそれは実際めんどくさいからこのへんで170点

『水のないプール』 (1982) 若松孝二

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一人暮らしの女子の部屋に窓の隙間からクロロホルムを注射器で注入して気絶させたらもしかしてやりたい放題じゃね?と天才的に思いついてしまった男のロマン系犯罪実録映画。つーか注射器であんな部屋に液体注ぎ込んだくらいで女が朦朧とするそのクロロホルムの絶大な威力な時点でけっこうその計画無謀にもほどがあるんだとおもうんだけどそれを強引に貫く破壊力が最高です。物騒だから鍵かけないとダメだぞーとか出会ったばかりのギャルの部屋に唐突に家宅侵入してみたりその挙げ句にはありがとうおじさんとかなぜか感謝される始末。でもここで閃いてしまったおじさんは世の中のギャルたちに防犯の重要性の警鐘を鳴らす為にも敢えて犯行の履歴を残すかのように掃除洗濯そして手作り料理をおこなうという決定的な住居不法侵入の証拠をのこしながらも気絶した女子を夜通しレイプしつづけますけれどレイプされたほうもされたほうで朝起きてたとえ自分がすっぱだかでも何の疑いもなくまっさきにおじさんの手作り料理を食う始末。ウマー!とかむしろ犯人に感謝する始末。日本は狂っております。そんなわけで勘違いも甚だしいままおじさんの“優しさ”は町の女子達の部屋に一段と過激になって届けられるわけです。すなわち防衛の意識付けを徹底するという町のため平和のための夜間パトロール隊的な役割を担っているのだとの逆説的な優しさの代償として正当に肉体接待(というかほぼセルフサービス状態なのですが)を受ける権利があるとのおじさんの自分勝手な思考が読み取れるわけですけれどもさすがに裸も見飽きてきたのかマンネリを打破するためにおじさんは女体の神秘の記録的なかんじの写真撮影とかアートな化粧で女子達を飾り立てたりといった、そう、駅の改札の切符切りという日々を反復するだけの日常のなかに埋没してしまって本人も気付かないでいたおじさんの奥底に眠る爆発的な芸術性を発見したりといった充実の日々なのです!そうこれは無口なおじさんの人間性回復の物語!でもだいたいあの卑猥な輝きを放つメタルなマスクって息できんの?というか空気が洩れたら自ら空気中に散布したクロロホルムの威力の餌食なはずだからつまりおじさんは息もしないで窒息寸前のさなか極限状態で町と女子の安全のために日本のおとうさん代表として夜中はがんばって働いているわけだからみんなはこのおじさんの息継ぎ無しの命懸けの犯行に感謝しなければいけない。おじさん一番お気に入りのウエイトレスのように感謝の気持ちをもたないといけないしみんな感謝するのが正しいのです。日本人は感謝の気持ちをわすれています70点

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』 (1968) ジョージ・A・ロメロ

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なんか新たに追加収録された場面ってすげーいらないんだけど!なんだあれ!すげー糞でびっくりするぞあのスレイヤーみたいなかっこいい髭の形の神父の登場がすごいいらねえ!オマーだれですか。というくらいほんと何の為に追加されたのか意味不明なんですけどって実はなんかこの最終版の追加映像はロメロ様のパワーがまるで関与してないらしいじゃない。あぶねー騙されるとこだった!ナメンなぼっころす(ぼこぼこに撲殺するくらいの怒りの気持ちの意)ぞ?ということで通常版のほう先に見といてよかったよそちらのほうが明らかに唐突な恐怖状態に追い込まれていくさまが不気味すぎてあれだからね!
というわけでこれからは通常版のほうに関してのみの僕の感想だと思ってくださいというわけなのですがこれ女から殴られたらおもいきし殴りかえしてた黒人の行動がけっこう斬新だったよ!女子供だろうと容赦しないよという人間に差別しない平等な扱いを心がける清き心を持った黒人はもちろん性差別しないで女でもグーで殴るぞっていう気迫に感動したよ。これぞ自由の国アメリカっていうね!でももっとアメリカの大地感じたのはあれね。
「動きは遅いのか?」 「一度死んでるからね!」
ってよくわかんないけどすごい説得力あったよ!アメリカの会話はかっこいいなー。しかもアイツてばゾンビの怪力でも突破できない扉を平気で突破するいざという時の秘めたパワーはすげえよ!黒人の身体能力は侮れないよ!っていう家に篭城という最小単位の設定における極限的な状況下で垣間見える世界の縮図というか人間不信な時代的な緊張感が迸るさまが実に人物配置に効果的に表現されてたよね。しかも淡々とした人狩り的な風景の原型ともいうべきものがもう既に確立されていてさすがにあれはあいかわらず不気味だしロメロ様の天才が冴え渡っていらっしゃるぅ!でゾンビ化する時けっこう服装とか気が抜けないねとか思ったりだよねこれ。なんか一人あられもない姿のゾンビいてあれは悲惨だよ。せめて服くらい着せてあげて!ってくらい全裸。人としていつゾンビなるかわかんないから勝負服は常に用意してたいよね?という人類に対する警告でもあるよとかけっこうこれゾンビ化する時の服装って例えゾンビといえどももしかしたら初対面のときの第一印象は大切だから正装を心がけたいものですね!って身が引き締まる思いですよ。今なんか俺下半身パンツ一枚とかけっこう冒険的な装いですからねあぶないよ今この瞬間襲われたら。ほんとにBボーイのゾンビとかどうするよ実際。そんな日本人とかのおしゃれゾンビが襲いかかってきたらなんか画期的な画面が誕生する予感だよね。で結局のところ地下室が安全だっただなんてあの黒人が最初から生意気なこと言わなければよかったのにね!100点

『サンゲリア』 (1979) ルチオ・フルチ

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原題がZombie2ってあきらかに勝手にゾンビの続編作ってるよねこれ。で音楽がちょっといたたまれないほど大変な事になってます。あきらかに音響が不自然なエレクトリック懺悔室風で邪悪が蔓延してるよねとかおもってたら呪いの島に到着と同時に急激に陽極南国風ビートがウキウキな盛り上がりでこれはさすがに登場人物のやる気の無さに反比例するがごとくで正直ぼく戸惑いました。しかもなぜか海中でサンゲリアとシャークが異色の対決をせざるを得なくなるとことかあまりにアホすぎるので失礼だとは思いながらも笑ってしまったよ。なんで女を襲撃しといてよりによってサメと対決してるのか意図がわからない。女もなんかむりやり股間に器具食い込ませてるし意味がわからない。あきらかに芸能人水泳大会でいうところのはりきって騎馬戦登板のポロリ要員だしこれは実にいたたまれない空気。だもんで無意味なシャワーシーンの女は当然目玉になんか破片突き刺さってますわな。せっかくのポロリなのにこの扱い!でもっていつのまにやら超至近距離でサンゲリア登場するという常に接近戦になりつつある遠近法がおかしいです。まるでキャプテン翼のいつまでたってもゴールの見えない地平線のようなグラウンドで戦ってるかのような異常さです。大体にしてサンゲリアに家完全包囲されてるにもかかわらずよりによって近距離で火炎瓶投げつけてみようとする発想がわからない。そんな自分達が篭城してる家そのものに燃え広がるような捨て身攻撃をこれだと閃いた頭の中身がどういう構造してるのか知りたい。というか火炎放射するくらいだったら何故に最初から火葬にしないのかと問い続けてみたい。でもって唯一メッセージ色の強烈になるはずの場面で共に行動してた男の連れのサングと化した女を撃つのを主人公がためらう心理描写がありえない。だってその前の段階で主人公達が地中から這い出てきたサンゲリアの襲撃を受けた際に船の男が助けに駆けつけたせいで置いてけぼりの連れの女が噛み殺されてしまうという事態にも関わらず助けられた主人公達の方はあっさり何の未練も迷いも無しに見捨ててその女置いてこうよGO!とかってはりきってましたからね。そら君たちは別にあれだろうけどもそもそも誰のせいだよと。ここは船の男いいかげん怒っていいとこだと思います。そんでもって最後のほう主人公いつのまにやらごっそり毛根死んでました65点

『ドグラ・マグラ』 (1988) 松本俊夫

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たとえば身体的特徴は遺伝するにしても果たして心理も遺伝するかというと謎ですよねもしくはここで主張してる心理遺伝というのはつまり記憶すら遺伝するということですが僕思うにむりやり遺伝させてまでも代々継承させていきたい心理なり記憶は余程の最重要項目か軍事機密目的の為にこそ成されるものであってそれが殺人の記憶を主としたものであればどれほどの呪いですかよって話ですよね。でも考えてみれば呪いとはありったけの壊滅願望をターゲットに投げつけて衝突させていく燃焼系の技ですので永続的な呪いを成就させるために有効な手段は心理遺伝を以って成されるのがあからさまに効果的だとわかりますよね。そしてこの心理遺伝怪奇大作戦を戦闘に実用できれば「末代までも呪ってやりますけれども。」という最大風速の恐怖の警告を相手に投げつける選択肢が武器として登録されることとなります。それはその血統によって無意識のうちに殺人心理プログラムが潜在意識のなかの遺伝子レベルで形状記憶されているがためにこぞって殺人リレーが行われるというまるっきり自動的に殺人鬼を生産できるシステムなのでその心理遺伝の王位継承者である当事者にとってはその呪縛伝承が無自覚がゆえおそろしいまでの純潔を守りきった瞳の少年だよねだってそこには意識的な殺意があって人を殺すわけでもなくこれも遺伝ですからとかいうまるで罪の意識から遠い地点に存在していて日本の祖国の伝統を固守するがごとく正当なピュアな初期衝動によって当然のように成されるので本人はいたって心因性記憶喪失の連鎖反応で毎日を繰り返して寝たり起きたりでつまり寝たきりみたいなもんですけど実際は寝たきりでもないんだけどそれってもしやご飯食べたのすら覚えてないような痴呆的な物体と勝手に定義するとしたらまだ食べてないのにもう食べたよとか軽く嘘言っておもいきし衰弱死させる手段も精神病院側にはあることにはあるんだけど実際その最終兵器を使うかは病院側の良識に判断は任せられることとなります。でも死なない程度にそういう実験というか取り返しのつかない生死を決定するような命懸けのどっきりとかしてみたい気もするよね。というわけで殺気遺伝の入院患者むしろ被害者。というかこれ遺伝という科学的な殺人結社というよりあるひとつの目的と意志を不滅に永久保存していくための入れ物としての新たな肉体を仮初めとしてだけ再利用してるかのような異種配合と子孫防衛戦術とか甲殻機動隊的な軍事発想ですよね。そして絵巻き物の腐乱死体を契機として呪いの記憶を纏った身であることを覚醒させると。おそろしいまでの気合入った永続的な武器だ。それほどの大量生産を可能としないのが肉体的な限度であって人類の呪う気力の記録の限界。人形劇の不純ないかがわしさと念仏世紀末的な精神異常の世界がパラレル忌憚を出現させてかなりかっこいい雰囲気だから好きだよね。でもって胎児のあたまに埋め込まれた銃弾が世紀を越えて復讐に発射するというそれほど震源地の深い殺意はおそろしいけど実際途中で飽きてきたよね。というか別にそういう話でもなかったんだけど僕の妄想が新たな物語を創作活動してたからあんまり気にしないでいいよというかこの貧乳に関してはすんごい許す96点

『アディクション』 (1995) アベル・フェラーラ

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吸血鬼の血に対する飢えと麻薬中毒者の禁断症状とを同系列に扱うことで吸血行為とは決してなくてはならない吸血鬼の生きるための必須条件ではなくそれは依存に過ぎないのだということが理解出来ますつまりは自己の飢え(食欲ではなく)を満たす行為は生存のために致し方ない弱肉強食食物連鎖的な抗うことの出来ないものではなくて単に他人にとっては迷惑極まりない私利私欲なごとき自己満足な行為が吸血活動だという事で結局のところでもやはり禁断症状を抑止するにはなにかの欲望或いは他人による道連れ的な推奨なりに負けて麻薬を始めたとかのカジュアル感溢れる意志薄弱の人間にとってはまた同様の理由で禁断症状に打ち克つことなどは不可能なのです。そして中毒には二面性があって邪心が生み出す飢えを満たす側面と自分の本当の姿を忘れさせてくれる側面があるわけです。吸血鬼となった自分の飢えの苦しみを他人にも伝染させんとする道連れ的なモチベーションが人の道義を超えて突き動かすという最低な行動の連鎖が恐怖を生むわけです。例えばそもそも人が煙草を吸うために生まれてきてるわけではないわけですから本来不必要であるはずの煙草を吸い始めるにはなにがしかの契機と理由がその人に訪れていることになります。そして大概にしてその契機と理由とはファッショナブルな非行的なものであったりなので実はそれは人生において一度は誰かの影響下と支配或いは誰かの推奨を断りきれなかった等々の個人的な意志の敗北記録をそこに垣間見ることができます。なのでまず基本的には個人の意志がどれほど今その行動と習慣に立ち現れるのかを判定するときには極論を言えば喫煙者と非喫煙者に分けることである一定の意思レベルのラインが作れたり作れなかったりです。でもたしかにこの吸血饗宴に参加した「常識人」たちは公的には道義を叫び重んじるフリをしながらもやはり私的にはじぶんのためだけに邪心が生み出す飢えを満たし自分の本当の姿を忘れさせてくれることを望んだわけです。97点

『エレファント』 (2003) ガス・ヴァン・サント

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いや俺あの金髪美少年が銃乱射するのだとばかり思ってたんだけど全然関係ないんだねびびったよ。しかし登場人物の背後を執拗に追い続けるような事件再現現場に居合わせるかのような錯覚を巻き起こすすべての事象の目撃者的な疑似体験視線はそれはいいとしてもでもだからこそそれならば誰もが知っているコロンバイン高校銃乱射事件の「情報」だけを等しく散りばめるべきで「理由」までをそこに記すべきではないと思ったんだけど。わからないならばわからないなりに解らないものとして「理由」は共有された「情報」からみんなが各々考えることであって陳腐な紋切り型のいかにもなイジメなりネットなりゲームなりナチといった「理由」を提示することがべつに必要だとは感じなかったんだけど。しかしいくらなんでもパーカーがライフガードとかあれどうなの。というか昨日おれ釣り行った時ライフガード久々のんだよあれけっこう何気に復活してるよね。まあ別に悪くないんだけどそんなに燃えなかったというかでも四角くて特殊な画面でしたがあれはなにすげーのか?71点

『ベンヤメンタ学院』 (1995) ブラザーズ・クエイ

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実験人形作家のクエイ兄弟の初の実写映画。くそつまんなかったので特に感想ないんですけど意図的に焦点範囲が狭くしてあるのでガスヴァンサントの『エレファント』みたいに肝心の見たいところが見えなかったりずっと見てたいものが画面外にどっか行ったり困ったかんじでしたそして細部の断片しか見ることができないのでそれがいいのか?わかんないけど。でもなんか一瞬盛り上がった気もするあの残響音が神秘をかもしだす描写とかでも結局つまんなかったので別にいいです20点

『下妻物語』 (2004) 中島哲也

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男の子にはあって女の子に無いものはなんだ!おちんちんだ!イエス!でも決定的に女の子に欠落しているものそれは友情だ。女の子同士の友情など到底ありえない。女友達よりも彼氏を優先するのが女の子だ。なぜならそれは便宜上友達という関係でいるほうが利便性の観点からも都合がいいからそうしているだけでそしてそれは友達といわれる(言える)人は数が多ければ多いほど都合がいいからだ。だからそんな表層的な友達関係よりも優先的に男を選ぶのは当然のこと。なぜならたとえ相手が気に食わない存在ではあっても平気で一緒に行動できるのが女の子だからだ。わたしたち卒業してもずっと一緒に友達でいようねという女の子同士の会話ほど説得力と実行力から懸け離れた空虚な姿はないのだ。なぜなら女の子には説得力あるおちんちんが無いからだ。おちんちんが無い者に恥じらいの感情は生まれないからだ。友達を裏切ってもそこに恥じらいは生まれないということだ。と同時にそれは奥床しさとも無縁だ。なぜならおちんこは恥じらいの文化だからだ。奥床しいことこのうえない存在それがおちんこだ。この男子的恥じらいの文化を共有できなければ友情は成立しないからだ。だから男の子は彼女よりも男友達を優先するんだなぜなら男友達にはおちんこが生えてるからだ。おちんこの無い彼女なんていうのは全国の男子は男らしく積極的に放置すべきなのです。なぜなら友情は最高だからだ!それは男の子だけの先天的な特権なのだ。しかしちんこ除去手術してしまったオカマと女子との関係に不思議友情が成立する事例もある。それはなぜなら現在進行形で女の子寄りの乙女思想にも関わらず過去にちんこ的恥じらいの記憶があることによって(今ちんこがあるかどうかは実際に問題ではないのだ)相手を仮想男の子的な見方でもって友情を開発してしまう能力がオカマにはあるからだ!逆に女の子がオカマに気が許せてしまうというのもオカマは男の子的な結束力と友情を重んじ思想は乙女そのものという女の子のいう形骸化した友情と別次元の真の友情を実現するからだ。ではちんことは一体なんだ?男気だ!つまりそこに解決の糸口を見出せるのである。なぜなら男気さえ獲得できればそれは女の子同士にも友情が成立し得るという逆説が生まれるからだ!そして下妻物語におけるヤンキーとロリータというマッチングとは一見迎合不可能な異種格闘技であるようにもみえるがしかし本質的には同種のリビドーで活動しているのである。ふたつの分野に共通するのは女の子でありながらもある種女の子らしさというものを捨てている生きざまです。一般の女の子が友達よりも男をトップ事項にする極めて異性を意識した行動図式を完成させているのに対してヤンキーとロリータには異性を意識した男の客観的視線というものが欠如している実に男らしい生き方といえます。でも其処で矛盾するのは「男らしい」といえども基本的に男の子は過剰にも異性を意識して生きているということです。真実とは女の子にしかもはや「男らしく」生きることは許されていないという絶望的に男らしさが喪失している時代だということです。つまりヤンキーとロリータにあってヤンキーとロリータでない女の子にないもの、それは男気なのです。ヤンキーとロリータという孤高な生きざまとは男気とハードボイルド要素の復権運動であるのです。そして男気があるもの同士に友情が芽生えるのは必然なのですそれはふつうの女の子していてはドッキングしえないかけがえの無いものであるわけですなぜなら友情とは最高にちがいないからだたとえ其処にちんこが無いにもかかわらず、だ!95点

『フェノミナ』 (1984) ダリオ・アルジェント

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おおなんだこのクソガキは意外にも動きが力強くて気持ち悪いぜ!その槍は一体どこで手に入れましたか?光っててかっこいいね。ということで親が映画スターなばかりにあまりにかまってもらえず孤独すぎるので夢遊病になってしまって挙げ句の果てには昆虫と心を通わせてしまうようになってしまったという奇特な少女が虫たちと共に猟奇殺人鬼と対決するという突飛な話なんですけどというか設定だけだとすごい楽しそうなんだけどじつは前半が死ぬほどつまんないぜ!大体いくらなんでも友達は虫だけってまだボールが友達の方が異常性ではかわいげありますわな!というか別にその親が映画スターであるという設定上の意味がたしかに親元を離れざるを得ない少女という状況を作り出すのに僅かに貢献してるとはいえ結局のところ学校で苛められる原因としての機能が主ですからねなんて突飛な発想だ!でも虫で攻撃とはおそろしく想像力が働く!これはもっとあの槍使いのグロガキが超人的な動きの槍さばきでもって昆虫軍団率いるベルゼバブとしての蝿の女王の生まれ変わり的な少女との悪魔的な異形の対決をするという設定を拡大していけば楽しくなりそうなのにねとこれは俺の妄想です。結局ラスト30分だけ評価すればはっきしいって完璧に近いアクション性と異常性なのにとつまりそれ以外の時間はけっこう苦痛なほどつまんなかったと遠まわしに言いたいだけですがでもあの子供がボートに乗り込んでくるところはけっこうな迫力だから必見だよ!実際むかつくくらい気持ち悪い顔なのですからここはひとつグーで殴ってさしあげたいくらいですがせめて目潰し攻撃を加えて大人の恐ろしさを教えてあげたいものではありますが如何せん目が離れておりますので目潰し攻撃にはけっこう人差し指と中指を開く角度が垂直に近いほどオープンしないかぎりは両目にヒットしない有り様です!てごわいぜ!というわけで脳内で鳴る音楽がアイアンメイデンとモータヘッドだなんて趣味がビッチすぎて最低な不思議ゴス少女なので弁護士の頭がちょんぎられる感動的な再会場面と合わせて高得点です。しかしなんて電話線が長いんだ。84点

『十六歳の戦争』 (1973) 松本俊夫

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なんか半端ないズームイン多用で異常な世界が出没してました。だいたいにして歌も異常に暗い手首がくるくる回転して空中にもぎ取られる感じだよ。これはかなり僕の好きな気配の爽快感高度ゼロ地平線上の呪怨フォークソングを熱烈シンギングだよ。もしやこのあきらかにカリスマ棒読みを炸裂させてる男子が歌ってるわけ?なんかいまだ学名が付けられてない新種の昆虫とか棲息してそうな異常な髪型のこの子が?という200回くらい線路に投身自殺しそうな勢いの歌にのせてけっこう健康的なエロスとタナトスの清純派な暗黒青春が爆発する予感にぼくの青春回顧録にもついでにズームイン。でそんな男の子なぜにそんな絶望的なテーマソングに陥ってるかと申しますとなにやら美人さんに妊娠を告げられるに、ならばもしくは中絶すれば?みたいなやんわりと非道な発言したばっかりになぜか墓場というロマンチックというかネクロマンスな場所にてなんで私と結婚してくださらないのとか激鉄にすさまじく追い込まれたあげくに結局おもいきし逃げた。超逃げた。ヒッチハイクしてまでも延々と逃げますのですけどそれがなにか?とかいうそんな振り返ったら奴がいる過去をもってたりだよ。そんな感じのお話だったような気がするよ。たぶん。と見せかけていつのまにやら反戦ムードに変遷する変態松本俊夫の世界。水死体の脇で16さいの女子との運命的な出会いとかあきらかに設定が異常。どうりで漫画タッチの奇形的な髪型はさすがにやることが人並みはずれた逃避。その逃避とはあわよくば戦争責任から意識的に目を逸らし続けてきた日本人という大きな枠組みに呼応する。とか突然変異いきなし話が壮大に。仮面の行列の強迫観念めいた追い込み包囲戦線とかもうどうしようもない圧力が炸裂してるし爽やかな青春に徹しようともその変態性は隠し切れずに出現したりで何気にメッセージ色が強烈なかんじだったけどそれはそれでどうでもいいかんじでしたよね90点

『アイコ16歳』 (1983) 今関あきよし

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なんでこんなの見たかってわかってるとおもうけどこの監督はアイドル系映画とかモー娘関連作品で有名で『少女のみずみずしい姿を追い続ける作風』で知られていたらしいのですけどこの前ほんとに12歳の中1女子売春で逮捕されてしまったのでそのみずみずしい少女趣味の本気目線というか犯罪者的に執拗に少女の肢体を嬲るように追い続けるおそろしいロリコンのそれとやらを体験したいがために見たわけなのですがべつに普通でしたというか当時最高峰のナウを注ぎ込んだと思われる会話及び仕草が相当はずかしい事になってます。しかも名前がアイコだからってラブたんっておまえあだ名が余計言いづらくてどうする。でも部活動の合宿でお泊りとか病弱で薄命そうな美人先生登場とか俺の好きな要素そしてアイドル映画としては極力正当派でありつつも実験的な試みとの平衡感覚が絶妙でしたのでそれこそがアイドル系監督として作品を手堅くまとめる手腕を評価されての重用であったのだろうと予測されます。少女は大人へと成長することなく少女は少女のままで在り続けるわけなのですがそれでも友達関係の修復というか構築がその少女の世界単位での微細ながらも確実に成長する姿を物語りそれまで声だけでしか登場しなかった元彼との再会がトラウマ必至の悲劇をも少女に経験さす悪趣味感というか少女のロマンチックな夢は終焉し現実的な生死に直面する幼年期の終わりをも予感させますそれは単にアイドルを美しく見せるだけに留まらず少女期以後の長きその後の人間讃歌を切り開いてあげてました。でも少女から大人へと変わること無くあくまで少女であり続けるのはそれは少女が好きすぎるからですそれは師匠の大林宣彦のパワーを継承しています。ということでそんなことよりも雨のなか二つの傘が重なり合う光景の美しさに俺感動。でもいくらなんでも自宅に夜電話するのは失礼だと思いましたしかも不良の分際でしっかりまっさきに電話でるし。というか無言電話だし。68点
とりあえず今関あきよし最新作はチェルノブイリ原発事故を題材にした映画を自主製作してたらしいですけど当然のことながら主人公は少女です

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