死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『新ゾンビ』 (1997) オラフ・イッテンバッハ

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なんて限りなく透明に近いちんぽこなんでしょうかねえ。そんな透明で何気にすばやく移動されたら只でさえ見えないのが更に見えなくなるということに関しては頂点を極めてしまいかねないわけでそんな透明な時間が空間を支配してしまったら何が起こるって、君それは不気味な音がひたすら鳴り響くだけの状態でしょうに。
もしその姿かたちを音だけの闇の国から沈黙だけを抹殺し現実に呼び戻す手段があるとしたらそれはこれでもかと強烈な血しぶきでその見えない正体の輪郭を形作りそして内臓と血痕でその移動する透明さを不透明に塗り替えるしか歴史の繰り返してきた非行はきっと未来永劫実感の伴わない教科書のなかの記憶のなかでのみ血塗られたままなのでしょうねえ。そんな形骸化した血塗られた歴史の、本気の実感を伴った生き証人になるにはやはり血まみれの虐殺によってのみその歴史の透明さを不透明に赤く染めあげるしかないのでしょう。そしてきっとそれが二丁拳銃で頭を撃ち抜かれてもなおそれが致命傷となりえず歩き出す幾千幾万の神の御子たる新ゾンビ共のその身がこれでもかと粉砕され画面がじぶんの贓物と肉片と細胞で埋め尽くされるのを望んでやまない行為の謎の意味でもあるのです。なぜならそれが歴史が形を持って成すという、つまりは透明なちんぽこが初めて我々の目の前に怒張した姿で出現する奇跡ということであり、と同時に神の降臨と同意の最重要な瞬間であるからなのです。極右なミリタリーおやじが繰り広げるドイツチェンソー大量虐殺の壮観さはまるで教科書に文字として記されることによってある種の空虚さを刻印され現実感を削ぎ落とされ逆に隠蔽されてしまった歴史を、地中深く埋葬された書を発掘するように、ぼくらの世代が再考証するにはやはり血塗られた肉塊でしか現実は形を成さないと宣言してるかのような説得力があります。透明な歴史がはじめて僕らの世代に血まみれになって形を現し、そして嬉々として虐殺に興じるその民族の姿にはじめて際どい人類の殺しの歴史が蘇るのであり血しぶきで血まみれの歴史が再生され狂気とその時代に蔓延していた殺人の醸す本能的なおそろしいまでの陽気さと熱気を追体験する、そうこれは見えなかった歴史が透明さを失うということであり目の前で繰り広げられる変態的なまでの狂おしい虐殺の人類の歴史が見えてしまうことを実践してしまう意味を持つのであり壮絶におそろしい政治的な能力の映画だ!さすが本国ドイツでは発禁処分されフィルムを焼却ついでにこの監督も政府に要注意人物としてマークされるだけあるおそろしい意味をもつ作品だ!そしてこの圧倒的な人体破壊する際の武器の効果的な使用法、どれだけ多人数を一気に血祭りにあげるかにのみ苦心した天才的な物語設計の強力な破壊力と無邪気なギャグセンス!ドイツはやはりおそろしい民族だ。もはや民度としての虐殺レベルが度を越している1860点
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The Black Heart Procession 『three』 

もしかしてそこから見える僕らの関係はお互いの傷を舐めあってるだけなのかもしれないね。そんな関係は忌むべきものとして若い頃、とはいってもそれは約3年前のあの秋の君がまるっきり反転してピンクローターを車外に投げ出したまま鎮座した過去に遡るだけのホノグラムな夜の出来事に過ぎないわけであるが、今まさかあの時そんな猛烈に否定してきた最低な関係を3年後にぼく自身が、認識しながらもそれでもなお実践して生きているだなんてまさか横に伸びるタイプのおかしなちんぽこねぇ。
でも二人がこうして素敵な金属音に耳を傾けている後ろ姿に戦慄をおぼえるのだとしたら、それはもはや君にはあのときの僕の戦慄は理解できないだろうに。

ということでtortoise主催の『All tomorrow’s parties1.0』に収録の「waterfront(The sinking road)」の不快な金属音があまりに素敵だったので我慢出来ずにアルバム買ったよブラックハートプロセッション!これ4畳半で繰り広げられる金属音の怨恨と復讐の反響音といった感じが徹底されていて期待してた以上のすばらしいダメな顔が勢ぞろいのメンバーにおれは震えたよ。
なんか馬の仮面かぶってるし。かぶんなくても馬顔なのに。
やっぱこういう儚く存在を否定されそうな美しい音楽はこういうあきらかな悲惨なダメ感漂う連中が演奏してなきゃ本物じゃないぜ。でも今回は4曲目ご指名で買ってしまったからあれなんだけど実は2枚目の『two』のほうが実に好ましいらしいからそれも今度かうぞとぼくは誓ったとか誓わないとか
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The Black Heart Procession (2000/09/05)
Touch & Go

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『シーバース 人喰い生物の島』 (1975) デビッド・クローネンバーグ

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いやなんか俺これ人類に対する超重要メッセージ的な警鐘的なものを受け取ったような気がしたんだけどもうさすがに内容忘れてしまったのでかなり適当なんですけど。
これは人間の内臓器官の限界を更新しようとする話でした多分。つまり人間が強く逞しくいきるためには何が必要か?既存のパワー或いは潜在能力を引き出すことが有効かどうかなんてそんな答えるまでもなく簡単なことです。人間の自発的な努力にはおよそ限界があるので強く逞しく生きる為のパワー増強的な内蔵を人工的に作り出すために性器的なビジュアルの寄生虫を体内に勝手に投与しつづけます。それは善意からです。なぜって人間には強く逞しく育って欲しいからです。という医学の発達には数多の犠牲のうえに成りたっているのかどうか知りませんがそんな危険実験を実の娘でやってしまったがために名医は責任を取ってか、或いは責任を逃れる為かはわからないけれど自殺しなければいけないのです。なぜなら強く逞しく生きるということは素晴らしい意義を感じる革新的な実験になるはずだったのですが根本的に強く逞しく生きるという意味をジジイ完璧に間違っていたからです。この時代に必要な強さと逞しさとはなにか?それは生的というよりも性的な強さが尊ばれます。人間は性的に強く逞しく生きなければ生きる価値のない時代だったからです。EDなんてありえないからです。ぺレだってそら泣きます。サッカーの神様とまで言われていたほどの男がおよそこの世界においては無価値となってしまうというおそろしい価値基準が浸透してしまいます。絶倫以外は人間ではないのです。堂々とちんこをオープンできない人間は生きているのが恥かしいからです。もしくはちんこが巨大でない人間は人間では非ずと書いて非人間のレッテルを貼られてしまうのですそんな不遇な時代に生まれなくてよかったと胸を撫で下ろしついでにパンツをもずり下ろすアクシンデントが発生する悪夢を思い描いてしまうくらい完璧にジジイ強さの意味を間違えて寄生虫を体内に注入し続けてしまったのです。寄生虫は体内で性欲を無限に供給し続けるという。だからその結果娘の住む新進マンションは見境のない乱交マンションと成り果ててしまうのでしたが僕にも見境なく接吻してくれるかい100点

『無常』 (1970) 実相寺昭雄

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仏像はすきか?仏像のあの何もかも悟ったかのような氷の微笑が示すのはあきらかにぼくらを見下してバカにしてる笑いだと気づかないか。あれは決して見守ってる微笑みなんかじゃねえ。動物愛護的な、つまりは弱者に向けられた憐れみの視線と、冷笑だ。
これは全宗教全世界共通であるのだろうがつまりがんばった特典としてのヘブンリーな境地とはぼくら人類が漠然と生きてる以上未知な領域の出来事への興味と探求は尽きないわけでその未知なるが故の死(死後)への恐怖というおよそ克服不可能の未知と謎に対してのせめてもの恐怖心緩和策として作り上げた概念なのだろうかいわゆる宗教観の稀薄な日本人にとって唯一といっていい仏教ワールドが指し示す死後の世界、つまり極楽などというのはおよそ実在するはずもないのではないのだろうか。たとえば人生を省みてもその仏教の経典に示された美徳になにひとつ当てはまらず、そして時代にマッチしないという理由から(都合のよい)解釈あるいは簡略化を自ら押し進めるビジネスな寺の形態なんぞいくらでもあるわけでそんな禁忌にみちた己の生きざまを振り返って更になにを根拠に自分が極楽浄土という勝ち組にたどりつけるというんだアホか。すべては地獄におちるしかないのではないのかと全員を問いつめたいわけで。いったい何処の世界に未だかつて鼻くそ食べたことない人間がいるんだ?
当然ながらそんな鼻くそ食べた時点で地獄行き決定に決まってるでしょアホか。というか人間の生きるという行為は必然的に地獄に値すると言わざるをえないツールに満ちているわけでおまえ確実に負け組。
というかそもそも死後とは単一的に地獄的な結末の光景を目指すしか選択肢は存在しないのかもしれないわけで、それでも気休めとしてでも「うまくいけば極楽かも多分。」という淡いラッキーチャンスの設定をしておけばもしかしたら死の恐怖から救われるかもしれず、なるほどおよそ宗教というものの効果が心の“救済”にあるのであるならばいささかもその宗教の意味には矛盾しない!
でもあの仏像の、がんばったところでどこにも極楽などないのに信じておれに縋る愚民どもぉぉ!賽銭箱に金いれろやクソが。といった風情のかもす冷笑ブリザードの薄ら寒さに気づいてしまった仏像マニヤな男子的にはもはやいい子ちゃんでいるのはがまんならねえって事!だって優勝したらもらえるはずの賞品が実はねぇ!とかスタート直前にわかったら誰も走り続けないよー無駄につかれるだけじゃん。絶対わき道でお菓子食ってグレるよー当然だよー。だって我慢してまでも無駄にがんばる、それこそがつまり無常なのですもの4400点

『青の稲妻』 (2003) ジャ・ジャンクー

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なんか最近の中国は生意気だよね。経済でもがんがん発展を続けて日本人の間では本気で中国はこえーぞ的な論調が席巻でございますよね。なのでもはや下降線の没落間際国家ジャパンを追い越すぜ的な勢いが中国人のファッキンな態度にも見て取れますよね。でもそれでもまだそんな中国脅威論が現実味を持って僕らに迫ってこないのは華やかな経済発展で急成長しているのはあの広すぎる大陸のなかのごく一部の都市部に限られているに過ぎないというのを知っているから。
それはサッカーのアジアカップで日本にブーイングしでかす事件のときに散々語られたようにおよそ煌びやかな経済の発展の恩恵を受けていない何億という人民が中国4千年の歴史とともに経済格差と貧富の圧倒的格差に埋もれて不満と怒りが不確かなメロディを奏でている無気力大陸というのが現実であって中国の成功と発展などを本気で感じている中国人なんてあの膨大な人口のなかの1%にも満たない高層ビルから下界を見下ろしているビジネスマン達だけだ。しかもあんな中国の人口統計なんか住民票もってるやつしかカウントしてないから他に山奥に何億人潜んでるとおもってんだおそろしーぜ。人がおおすぎるってこわいぜ。ということでそんな見せかけの高層ビルで生意気な中国人なんてこわくねーぞって話だ。だから一見すさまじい都会気取りの中国の都市なんてものは一般の中国人の生活がおこなわれる場所では決してなくてビジネスがおこなわれる場所であってほんとうの中国人の居場所とはこの映画のようにだだっぴろいひたすら無気力な瓦礫と空き地のなかだけだ。北京五輪の実現も高速道路の開通もまだ見ぬ“経済発展”という名の“現実”をたしかめたいがために喜んでるふりをしてるだけっていうなんともいえない失望が頭を駆け抜けていくんだ。沸き返る群集の熱波に、なにに喜んでいるのか何に自分はよろこべばいいのかそのわけのわからなさといいそのあまりの自分との無関係さに十代の怒りは稲妻のようにほとばしるんだそれが英題のUnknown Pleasures。
joy divisionからの引用だとしたらこれは才能感じさせる107点

『処刑都市』 (1984) アベル・フェラーラ

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この犯人きもちわるい美白な顔色ながら強くて最高だ。だいたいにして目的と動機が不鮮明すぎるのが不気味ですもの。大都市のなかに潜んでいる凶悪という存在ほど不確かな透明さははかりしれねえ!なにやら処刑都市と名づけられた犯人自作の物語を己の力でもって完成させるために(やはり理由は不鮮明であるが)ヌードな女たちを標的にその類まれなる格闘技センスと勤勉なる解剖学の知識によって的確かつ残虐にそして確実に最大限の悲鳴を発生せしめ苦しみ悶えさす究極的な半殺しの術を会得したこの男の圧倒的なつよさはなにやらその行為にはその被害者にはそうなるべきであるとの予めさだめられた運命に沿った形で体が処刑されるのであるともいえそうなほどの厳かな意味が内在するのだといわんばかりの屈服させる力が出現するとき誰もが目を奪われてうっとりの刑だ!
かといってそれに対抗すべく封印された力を紐解く元プロボクサーいまさら修行おっぱじめたところできっと明日には筋肉痛だ!対決を目の前にしてのハードな修行はきっと逆効果だといわざるをえない!でも殺人的な蹴りに対して頑なにおのれの拳のみで突進する様があまりに男すぎる汁がドバドバだ100点

GRAVENHURST 『Flashlight Seasons』 

03年に個人のレーベルからリリースされて米ベニュー・マガジン誌にて”アルバム・オブ・ジ・イヤー”を獲得してたりと実はひっそりと評価の高かった作品でありながら高クオリチーのわりに知名度が低すぎるにもほどあるのですけどそういうのも注目して再発してしまうのが今のWARPのいいところ!
でGRAVENHURSTはNick Talbotの孤独なユニットでありひとりで本作で全ての楽器もこなすという友達のいなくてバンド組めねーぜといった君たちや僕にぴったりんこな勇気100倍のシンガー・ソング・ライターです。繊細なこんな声で囁きかけられつづけたら死にたくなるだろってくらいのバカ売れと無縁のすさまじいまでのひとりぼっち度だ!
というかこの紙のジャケットとてつもなくくせーんですけどなにこの素材。うんこ?有害すぎるこのゲロい臭いが、なんか、
た、たまらん!!
なんかね、この強力なうんこっぽさが癖になるというかこれとてつもなくくせーよとか文句言いつつ、また嗅ぐ、みたいな、言葉とは裏腹に体は正直ねえ、みたいななんかそんなかんじのお恥ずかしい行為を繰り返してしまっている僕なわけなのです。なんか好きだけど正直に好きといえないおまえとあいつみたいな関係?ちがう!!つーかほんとマジで殺人的にくせーのよ。いま想像してる臭いあるとするでしょ。その5倍はかるく凌駕する臭いと仮定してもらってかまわない。でも癖になるの。また嗅ぎたいってそう体が反応するの、って今嗅いでみた。やっぱくさい!生きてるってかんじる!おれ生きてる!
とそんなかんじの致死量をかもす有害なジャケットにぼくは夢中です。そうまるでこの中毒的な美しい独り言の音楽と同様にだ。
Flashlight Seasons Flashlight Seasons
Gravenhurst (2004/06/29)
Warp

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僕宝

や、やった!おいら遂にやったよ!PCM_04_09_06_0009.jpg


telefon tel aviv  『maps of what is effortless』

あーあ。うんこ食いたいなー・・・
うそ!今のうそ!

ということで
なんて期待はずれなんだ!hefty発のけっこう絶賛されまくってるTelefon Tel Avivなのですけれど大袈裟過ぎてあまり好きくねえです。というかこの2ndでえらく変わってしまわれたらしいです。ということはでも1stが鬼のような傑作でちんこがこれでもかと直立不動になってしまうくらいの興奮率なので大人用おむつ着用のうえお試しくださいといった出来事は必至らしいので素直にそっちから買えばよかったね。すいませんでした僕が間違いました。
しかしこんな上級なサウンドなのにナイン・インチ・ネイルズに影響うけましたとか元ハードコアバンドのフロントマンだったとかの正体不明の伝説が聞こえてくるといったチャーリー・クーパーとジョシュア・ユースティスによる謎エレクトロユニットなのですけどハードコアを通過したうえでのこういったオーケストレーションを多用する性癖なんて過剰に女子の目線が気になるお年頃なのかしら。

Map of What Is Effortless Map of What Is Effortless
Telefon Tel Aviv (2006/07/10)
Unknown Label

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KASABIAN 『KASABIAN』

こんなのだれもがみんなプライマルスクリームを想起するであろうけど、うんこれはあきらかにプライマルだからそれでいいよ。
音楽に限らずですが価値軸を新たに書き直すことによってスリリングに変わっていく風景というものが歴史的にありますがだからといってみんながこれをロックだとかいう現象はきもちわるいよね。ほとんどハッタリと雰囲気だけでロックオーラを身に纏う盗賊団的な覆面ビジュアルイメージ戦略の成功によってしかも攻撃的なシングル連射でぼくらのハートを鷲掴みという完璧なロックの救済者に仕立て上げる戦略はたぶんに商業的だけどそんなわかりやすさもまた大成功なのでぼくも流行におくれまいと夢中のふりしているのです。しかしいまどきめずらしく雑食性を微塵もかんじさせないいい意味での視野の狭さが功を奏しているともいえます。なぜならかっこいいところだけで構成されているからそんなのはかっこいいに違いないのです。そういう潔癖なところは日本人的なような気もするよね。
たとえばある影響を自分なりの形として生み出すためのフィードバック作業に大事なのは咀嚼するときに再構築あるいは再解釈、再定義をしようと意識的であるのが創造する者の使命というか基本であるとはおもいます。しかしサイケデリックの醸す眩暈無尽音像郡のグルーヴの高揚に魅せられたかとおもうとハウスに傾倒したりジョージクリントンと一緒にレコードを作ったり敬愛するマッシブアタックがアルバム丸ごとマッドプロフェッサーにダブミックスをさせたのと同じようにミックス依頼したりといった自身が影響された音楽を再解釈どころかそのまんま再現するというそんな好きなものはすべて自分で真似したくなるほど愛してる的なすべてのコピーバンドは好きだからコピーするのですという当たり前なことをやってしまうというそんな誰もがみんな最初は好きなバンドをコピーしてしまうのはそれが好きだからに他ならないわけで好きでもないバンドのコピーバンドなんて存在しないわけででもそういうコピー行為が許されるのは童貞な男子に限ってのことであるのにそんな反則をそれとなく絶対的な音楽への愛と忠誠心であるかのごとき衝動であるので許してください的に世に認めさせそんな音楽バカ丸出し感がかっこいいじゃないという新しい価値軸を作り出してしまったのがプライマルスクリーム。近年ボビーギレスピーは幼児退行するかのように老齢に近づけば近づくほどジーザスアンドメリーチェインでのドラム時代を思いだすかのように電子武装によるロックンロールの復権活動でいつのまにか日本では最高のロックンローラーというポジションになってしまいましたがしかしアルバムごとに革新を行ってきた彼にとっては電子による完全武装状態のままここ数年の老体の生命維持的な活動は極めて安定でありながらもしかし初めて音楽的な停滞を続けているとの指摘も成り立ちます。
でもなぜか許されてしまうのはなによりボビーギレスピーの過去の作品には無数の音楽のバックフィールドとその影響と敬意がかんじられますそれは自分で自分を好きになりたいがための自作自演的なじぶんのきもちいい作品を生み出していることの必然でありますが一方でそのプライマルの方法論(好きな音楽完コピ宣言)を模倣したカサビアンにはプライマルを模倣することによってプライマルが模倣してきた幾多の音楽の影響の恩恵を蒙るという素晴らしい構造。しかしながら二重のフィルター越しであるからか音楽史的バックボーンの不在をかんじるというそのすごいのかすごくないのかわからない出鱈目さとハッタリな不透明さがあのビジュアルイメージと相まって不気味感を助長します。なのにこの威圧。いやだからこその自由さであるのかもしれません。
攻撃的なイメージ先行が浸透してしまいましたが実際のアルバムの総体的印象としてはこれでもかとサイケデリック感が際立っている意外さも実は評価を高めるかもしれないしその印象は初期のプライマルもしくはストーンローゼス風ではありますが今後プライマル同様新しい価値軸を随時作り出していけるのかどうかは興味深いけれどたぶんこんな路線でしかいかない(いけない)ような予感がしたりもするわけででも逆にそれはそれで潔癖な求道精神はかっこいいけどまったくもって違う威圧の方法を編み出してきたりしたらそのときこそ本物だといえるのだとも思うわけです。でもたぶん無理。
ということで本作に限っていえばかなりかっこいいからそれでいいよもうめんどくさい
カサビアン (初回生産限定盤) カサビアン (初回生産限定盤)
カサビアン (2004/08/25)
BMG JAPAN

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