死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『13日の金曜日』 (1980) ショーン・S・カニンガム

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これはね窓がこわいよ。窓なんてそのへんにいっぱいあるから見られてるしこわいよ。外から見られてるのわかるからこわいよ。視線に囲まれているかのように多数の窓が画面にうつりこむ不自然な構図だし不安感が炸裂してやまないよ。じぶんが明るいところにいると暗闇のなかに潜伏取材してる人の存在なんてこっちかからは見れないなんてそれは比喩ではなくて物理的な事実だ。だから常にこの明かりを求めて、もしくは煌々と自分を照らしだし現在位置を知らしめるキャンプ場の登場人物のえっちな妖精たちというか子猫ちゃんたちは惨殺の標的として最適の環境をみずから作り出していると言わざるを得ない。そしてなによりこわいのは第三の目がつねに暗闇のなかにあり執拗に標的を捉えるその姿とぼくらの目が一体化してしまってること。もはや死ぬね、こいつ!まじで。といった何気ない観客の感想は殺人鬼の殺害予告と一致する。それでいて外人の短パン姿もじつに好ましいカントリーを奏でていてそんな陽気さに反逆するかのようなデッドヒートがその後おこるなんて小学生でも知ってることだ。でもその殺人鬼目線のいやらしいところは常に情事な場面を覗き見してしまうヤングな無防備の健康的エロスへの嫉妬とでも表現できよう。でも不満なのはあの高度な弓使いがそのスキルでもって反撃どころか逆に射的で串刺しといった場面で完結してしまっているところであって終盤殺人鬼があの女の子と拮抗したキャットファイトを繰り広げることから推察される戦闘力からするとあれほどアホ外人たちが一方的に惨殺されるのはけっこう謎。というか窓から死体を放り投げてくるパワーがどっから出てくるのか謎。というかけっこう最初スポットライト浴びまくってた料理番のギャルが主人公とみせかけて一発目で殺されたの笑った。
そして何よりジェイソンのホッケーマスクなんて一個もでてこないなんて信じられるかい。たしか2は袋かぶってたから実質のビジュアル確立は3?くらい?ぼくらのジェイソン像はまだ登場しないよ。ということは別にこれ、そんな偉くないじゃん91点
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『暗殺者の家』 (1934) アルフレッド・ヒッチコック

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はいはい別にふつうにおもしろかったんだけど字幕がここぞとばかりに見づらいんだけど。なにあれ。誰の仕業?なにかの陰謀?もしかしてあれ複雑な数式でもって構成された暗号を忠実に翻訳したがために不自然にもほどがあるとかいうトップシークレット付き字幕?そんな謎がまさか。ってくらいに発言ふたり分を一斉に画面に羅列したりしてみましたけどどうですかみたいなまったくもって見づらいんですけど。つまり一人分の発言かと思いきや実はふたりの会話を合体させてたりとかけっこうな読解力が問われるとかいう事態。とくに最初のほう誰の発言かを見極めるのかが鍵を握るまさに手に汗にぎにぎの難解な字幕環境を作り出してるもんで俺なにかというと巻き戻し!いつにもまして巻き戻しの一つ覚えですかよってくらいに一歩進んで一歩下がってますが。かと思いきや人名紹介の親切なサービス!これは便利!と思いきや約2名ご紹介した時点で終わってますが。
なので通販講座の速読術をマスターしていなければほぼ解読不能なほどに一瞬で字幕消えたりととにかく不安感が半端ねえよ殺すぞいやマジで。誰ですかよこんな仕業まるでいっこく堂の時間差であとから声が聞こえてくるかのように台詞と字幕がまるであってないんだけども。ということでなんか暗殺者がいっぱいいて何してる人ですかとかいうくらいに無駄な人数の暗殺集団が形成されていて困ったなって話でもう僕帰っていいですか80点

Fridge 『Happiness』

はっきりいって今日の俺は体操のお兄さんだ
だからわるいけど右から順に殴っていくからよけれるならよけてもいいよ。
よけれるならねこの卑きょう者!おれはよぉこの体操を完成させるためにどれだけ牛乳飲んできたとおもってんだよ!もとをたどればどれだけ乳を搾ってきたかって聞いてんだよ!そこのお前!そう!ご指名だ!俺が?っていう無言のジェスチャーでおれを笑わそうとしたってそれアレだから!ふーん。九九もできないなんて俺と一緒だね。よし友達なろっか。うん。俺はけっこう6の段は得意だから俺の苦手な3の段代わりに言ってくれない?それが友達ってことでしょ?え!ちがうの?
というかそもそも3の段おれも苦手っておまえ、だったらどこの段をお得意様としている熟女キラーなわけ?って結局のところ九九そのものが全滅ってなにも俺とおまえがともだちであるメリットを感じとれない不機嫌な果実じゃん。というかでも九九ぜんぶ言えないとこの魔界ゲートは開かない仕組みってわりとこのシステム考えたやつ天才じゃね?
ほとんど無理っしょ?全滅っしょ!ぜったい九九の暗記って神業っしょ。そんなできる奴の顔みてーっつーか親の顔どころか親の乳首の色形まで見たいっしょ。そんなイイ子ちゃんでいるの疲れるっしょ!おれといっしょにあそびいこうよ!外出とかってけっこうロックンロールなかんじするし。
それに比べてなんだ。これはロックンロールなのか?ロックンロールだといえるのか?
もはやFOUR TETのほうがあれだけどこっちがメインですからというポストロックのFridgeの4枚目のアルバムこれも侮れない穴奴隷のアドレナリンってかんじが沸々と感じ取れるから早朝の組み体操のときになにを考えながらこいつを肩車しなきゃならないのか意味不明!この形が意味わかんねーよ!っていう反抗期の人は聞くがいいよきっと憤死する
Happiness Happiness
Fridge (2001/10/02)
Temporary Residence

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『天使のはらわた 赤い教室』 (1979) 曾根中生

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これは期待してたほどではなかった気がする伝説のわりに。というかそんな女教師が正体がすぐさまばれてしまってグレるなんてこの時代はコンテンツが少なくてしかも良質な素材は稀少ですから広くしれわたってしまったなんてきっとこれはそうまるで洗濯やケンちゃんのように日本国民男子ぜんいん見てしまっているのと同じくらいの知名度を誇ってしまったロングセラー人気爆発サイン会をするホテルの窓口にて穴兄弟ってかんじ故の殺生力のある悲劇なのでしょうが今ならきっとけっこうな割合で普通にその辺にでもこのへんの経験くらいはあるはずでしょうからというかそもそもエロコンテンツが豊富で嗜好が細分化されております世界トップ水準の日本のエロですからこの無限増殖の作品の森の中から正解を探し当てるなんて時代は逆にばれにくいのじゃないかしらというかみんなそれぐらい出てるのでばれたところで別になんとも思わない時代なのかもしれないです。いやよくわかんないです。でも自分で望んだならばバレるのも自己責任なわけですからどうでもよいのですがそれを望んでいない本気の被害者にとっては例え忘れ得ぬ記憶ながらもせめて記録は抹殺しておきたいといった過去を持つ身にとって優しくない時代であるのはたしかなようです。一度でも流失したらおわりですもの。でもセクシャルなコーナー行くとたまにこの世にAVでてない女なんか存在してないのじゃないのかしらといった軽い眩暈をおぼえるときがあります。もしくは巨乳以外この世にはいないのではないのかしら、といった危険な錯覚をも呼び起こすおそろしい量産体制は圧倒的です。その状況はうれしいようなかなしいような微妙な感想です。いや多分うれしさのほうが勝っているに違いなんだけどたまに悲しくもなるってことを言いたいのだと思います。でもたしかなのはそんな時代のせいでぼくと手を握った事が一度でもある子がそんな他のぼくの知らない男の人と手を握り合う以上のことをしていたら悲しむよってことだけを伝えたいけど実はそんなお話をぼく耳元で囁かれたら逆に興奮するかもよ?みたいな、男心は複雑キッスです。というかこれは悲劇を経験したせいで逆に自ら堕落することによって悲劇の地平線をまったいらにして傷の個性を幅広い痛みの中に埋没させる自己癒し女の話ですがこれは一番かなしいのはきっとそんな女の姿を見せつけられる、女に思いを寄せ続ける男の方なのです。おんなにとっては今はもうそれが幸せでも男は幸せではないのです。あっちの世界で痛みを麻痺させて生きるのはやはりワイルドすぎるのです家庭を持ってしまった身にはワイルドすぎるです89点
原作は石井隆

『楢山節考』 (1983) 今村昌平

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もうこれ親を山に捨ててくるなんて悲しいとかいうのよりもそんな山に登るのすげーめんどくさい俺からしてみたら。その辺の川に捨てて勝手に自分で流れていってくれるほうがよほど合理的だと思ってしまうんですけどそれはすなわち山に登る行為にこそ意味があるってこと。
自分が親を山に捨てたからには自分も子供に捨てられるという覚悟を迫ってるよね密かに。自分が親殺しの伝統を遵守したからには子にもまた並々ならぬ決意で持って自分殺しを遵守させようという、その覚悟こそが伝統を確立させているわけです。しかもただ親を廃棄処分するのではなくその行為を儀式的なものに昇華することで殺人の正当化が図られます。山はこの土地のなかでは天国に一番近い場所であって山に登る行為は天国への階段をのぼる崇高な儀式だと絶対的な「伝統」という名の法律はいうわけです。たとえ実態は不要な老人を抹殺する口実の元に行われる残酷な労働ではあってもだ。そういう悪しき非人道的な伝統がまったくあたりまえの事として受け入れられ、まるで人々に疑問を抱かせることなくむしろ正当化されるほどの洗脳のためにこういった自然崇拝とか村の信仰の多くは伝統的に機能してきましたよね。こわいよね。すなわち親を山に捨てる作業にも神への貢ぎ物的な名誉ある労働的側面を与えて行為の神格化が成され更に見捨てられる者にも神への供物として死ぬことの幸福的な有り難い付加価値を与えて潔く死んでいただくわけですね。こわいよね。嫌だよね絶対こんな土地逃げ出したいもの。というかあの山の頂上の屍で埋め尽くされた暗黒地帯で夜が来るの最高にこわいんですけど。さむいし。することないし。でもそんな逃げ出すという感覚がそもそもこの土地には存在しないし世界はこの土地で完結するし生も死もすべてはこの土地のルールで完結しているのです。日本に生れてよかったですねこれも日本だけど。100点

『復讐するは我にあり』 (1979) 今村昌平

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殺人詐欺強盗を繰り返して逃げる凶悪犯の男の捕まるまでの78日間の話でもありその親にしてキリシタンの親父が自己を律する足枷となっていた宗教から自らを破門にして自分の感情行為を正当化して息子の嫁を堂々ともみもみするまでの感動的な軌跡。つまりもうそんな隠れキリシタンとして過ごさなければいけなかった人生だなんて完璧に屈折するよね。隠れてるからね。かくれんぼでもあまりに発見されないとむしろ自分から存在感を発揮したくなる微妙な乙女心というか子供心わかるよね?だから子供時代の秘密感は苦痛に違いないんだよね。そして幼年期からのなんの疑問もなく習慣づけられたその信仰という日常がある段階で自分以外の他人とはあきらかに違うという確信をもったときの疎外感はそら半端ないよね。そのパワーといったら例えるとかくれんぼでおもいきり全力で隠れてしまったばかりに全然発見されずにみんな諦らめたというか存在をすっこり忘れられて全員帰宅してしまって気付いたら自分一人で夕方に家に帰るというはずかしい事態に感じる疎外感の6倍はあると思うね。そらあれか一身上の理由により体育の時間のプールの授業に見学を余儀なくされる女子の思春期のはずかしめ的なプールサイド際の孤立と似てるねえあれもなにげに宗教上の理由だと思うんだよね先生はそれはもうぼくら男子には秘密にしてるけどすっこりお見通しさ。だからそんな宗教上の理由から宿命づけられた社会との断絶とはずかしめ的な挫折が犯罪者としての素質をすっこり立派にさせるねえ。だからきっとプールを見学した女子の星の数ほど凶悪犯罪度増してるはずさ。そしてキリシタンの父が晒し拷問的な虐待を受ける光景が自身の信仰と社会への不信感として培養されるには充分なインパクツ。そのくらい自分と自分の親の存在が社会に覆されるとなると次の段階は自分が追い込まれた状況を作り出した元凶である(キリシタンの)親を憎みますのは当然。だいたいもうこの男はプールの授業時間に見学する女子的な差別感をおなじプールの更衣室で周囲の好奇な視線でひしひしと実感するはず。なぜって割礼でもうすっこり一皮向けた大人にひとりだけなってしまってるのでこの孤独感といったら半端ないはず。推定8歳時で亀頭まっくろだなんてそら修学旅行きついもの。しかし其れゆえ後年もてもての人生が約束されてるだなんて人生わからないものです。しかもまっさきに殺すべき父親には復讐を遂げることなく無関係の怨みのない人々を殺しまくるのですから人生わからないものです。100点

『デスレース2000年』 (1975) ポール・バーテル

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時は西暦2000年、独裁君主が支配するアメリカでは人を轢き殺すごとに点数がバリバリ加算されるというオモシロ鬼畜ルールによる年一回の合法的な人殺しイベントこと国民のお楽しみ祭り、それがデスレース。
速度と轢殺数を競い合う大陸横断のこの素敵な政府公認殺人レースに熱狂するのさ僕ら。第一弾遺族には豪華特典付き被害者の未亡人インタビューさ。うれしいね。もちろん人の価値には歴然とした生命の価格差が存在するから点数にも違いが生じるわけで老人・子供・身障者は高得点というじつに嬉しい配慮。僕のような貴族は当然ながら爆発的な高価な命に違いないから気をつけナイト!ということで、もち狂ったレーサーは迷わず老人介護施設に突入さ。気の利いた看護婦たちは道路上に車椅子ごと老人を大量設置する気遣い、そして愛。
なんなら得点狙いで自分のクルーやら他人のナビまで轢きまくります。好きなレーサーの為ならマシンに身を投じるファン心理。股間串刺し。そしてほとばしる無意味なエロス。
そして小学生の想像力に匹敵するほど不必要に過剰で貧困な発想の外観のカーといい実にいとおしいよ!!
この際ボンテージのジジイも身のこなし気色悪いけど許すかなって思ってしまうほど心が広くなります。なんかみんなに優しくなれるかな、ぼく、変われるかな、とか思ったりです。
世紀末、あれほど世界が危惧していた2000年問題とは実はこのレースの事を密かに指していたというのはあまり知られていない事実100点

Album Leaf 『In a Safe Place』

美しく生まれりゃあ
人の幸せゆうのは
それでもう 半分ぐらい決まったんかもしれん
でも勘違いするな
美しさゆうのは目に見えるもんだけじゃねー
写真にはうつらん美しさだってあるんじゃ

100人のうち99人の人が
お前なんか美しくないって言っても
100人のうち1人でもええから
あなたは美しいよって
あなたは素敵だよって
言われるようになればえんじゃ
それがホントの美しさじゃもん
それがホントの幸せじゃもん
誰よりもやさしく
何よりもあたたかく
僕、うーんと美しくなっちゃるんじゃ

ということでこのまえ僕の胸に風穴を2mほども開け放った馬面ぶさいく集団のブラックハートプロセッションのベーシストのジミーラベル(誰?)がゲオルグ以外のシガーロスメンバー(これって仲間はずれってやつ?)と元ムームの人達と共にエレクトを加味し鬼のようなケミストリーで作り上げてしまった氷河を溶解する天涯魔境的な円周率をはっきいって倍化させてしまう威力の持ち主!
というか音楽と同レベルでなんかジャケデザインが素晴らしすぎるのでみんな触ってみてよなんか立体感あって気持ち悪いから
In a Safe Place In a Safe Place
The Album Leaf (2004/06/22)
Sub Pop

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『ビデオドローム』 (1983) デビッド・クローネンバーグ

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殺人と拷問がエンドレスな海賊映像の電波を受信したらそんな夢中になるの当たり前!って思った矢先になぜか暴力と官能に彩られた幻覚世界へダイブ。
その映像には新人間にする作用があるという!新人間というのはなんだというと肉体という呪縛から解き放たれて脳だけで無限に妄想を産出せしめ生きるすばらしい思考する最小単位。
肉体という妄想するには不要な殻を廃棄することによってあらかじめ物理的な制約から解放された前提のもとに発生する幻覚の自由度の可能性を大幅にアップしたのが新人間だ。この世の中を新人間だらけにしてやる!!!!!!!!!
というそんな新人間だらけにするメリットが意味不明だけどそんなのがビデオドローム。でも主人公はつよいからビデオ人間さ。
ビデオ人間!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんて甘美な響き!!迷宮への誘い!!!尊いビデオ人間に眼鏡屋の分際で立ち向かうには5世紀程もはえー!というつまりは次第に妄想の領域が現実世界を侵食し始めて幻覚フィールドを広げてくる!現実でも妄想的な飛躍のエグい殺し方が作用し始めたりという虚構が現実を形作り始めるなんて妄想力しだいの破壊力イカす。銃と手が一体化したりそれが観客的には妄想世界か現実世界かの判断材料になるのだがそれさえ終盤は危うくなる素敵暴走がはしる100点

『ヴィレッジ』 (2004) M・ナイト・シャマラン

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こり傑作。だって手つなぐとドキドキするじゃん。ちゃんと掴まってますからとか言われてみ。死ぬね。そこまではさすがに言わなくても握り返されたらますます握り返してやってもしくは握りつぶしたいじゃん。ホオズキ男みたいにぎゅーと、ってなるじゃん。心臓わしづかみじゃん。心臓を直接わしづかみだったら心配停止の危機にダイレクトな心臓マッサージが可能なほどの揉み揉みの奇跡じゃん。心臓がドキドキってつまりそれと同程度の奇跡ってことじゃん。けっこう左手にぎると血管が脈打つドキドキが伝わってきそうっていう感覚はもしかしてぼくが心臓に接近中なばかりに血流を感じ取れてそれってつまり鼓動をより近くで感じ取れる特典がついてわーいうれしいっていう感動と同じという結論でいいですかって先生に詰め寄る優等生の感想じゃん。教壇の下のなかの空洞にはいりこむとなんか不思議なイメージって広がったじゃん。授業をどうせならあそこから受けてみたいって思ったけどそれは男子教諭の股間を直視せざるをえないという危険と隣り合わせのデッドオアアライブじゃん。それってこの受験戦争のご時世に必勝のハチマキして竹槍で突撃訓練してしまうくらい追い詰められた心境じゃん。でもそんなところにさえ文明捨てても理想な俺でありたいと思うのってしごく健全なことじゃない。恋って本来はそんな健全なものじゃないほどいい匂いするじゃない。いや、しないじゃない。でも、してもいいじゃない。もしくは、すればいいじゃない。この子のためなら死んでもいいかもいやだめかもとか思いを巡らせてドラフト2順目で逆指名ってかんじじゃん。おれおまえを逆指名するぜって言いたいわけじゃん。でも指名されたほうはされたほうで実は困るじゃん。でもその困り顔もまた見たいって話をさっきからしてるわけじゃん。だから困る顔みるのもまたすごくよかったりするけどしないともかぎらないじゃん。そこがドキドキの境界線上のあやうさ的じゃん。だから逃げるのって時に肯定的なことじゃない。そうじゃないとコマンドのひとつににげるは最初から加わらないわけじゃん。でもそんな時の敵にまわりこまれた!っていうときの絶望ってすさまじいエロスじゃん。ほとんどあと一撃で死ぬっていうがけっぷちの時に逃げる選択するじゃん。でもそれでもまわりこむってなんて優しくない神経してるのってそれはまるでメタルスライムに回り込まれたときの衝撃とおなじくらいのあれじゃない。でもなによりすごいのはその後の死へのカウントダウンで敵の再攻撃をおもわず避けてしまうっていうこの攻防の感動の波じゃん。まさに波状攻撃じゃん。でここで問題が会心の一撃を期待して攻撃に移行するかやはりまた逃げるかっていうあれじゃん。おれは間違いなく逃げるを選択するわけ。なぜならそこに逃げるコマンドが設定されてるっていうその可能性の美学に頼りきってみたいわけじゃん。だから最後まで逃げ通そうとするこの話に人間かんじるわけじゃん96点

『ブレインデッド』 (1992) ピーター・ジャクソン

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いやなんかもっとすごい事になってた気がしてたんだけど今や新ゾンビを体感した直後とあってはこれは順番がわるすぎたねえと反省する俺!だってブレインデッド通過後の人体破壊も度がすぎるとギャグといった図式を踏襲するフォロワーが幾多も輩出されたなかでもあまりに理想的な進化を遂げた究極をみた後に本家に立ち戻ったら感動100倍っていうそんな計画をはりきって実行してしまった俺がこれは完全にわるい。
ということでもっと初対面の時には興奮マックスだったカンフーも意外とアレでしたしその他の素敵なアホな場面も脳内で最強映画との勝手な捏造が繰りひろげられていたのでその想像内のブレインデッド像のほうが本物よりもはるかに素敵なことになっていたので実はあんまりのれなかったという。いや確かに軽くすげーんだけどなんか俺の思い出のブレインデッドよりも実は下回ってしまっていたという悲しい出来事なのです。というかこれ一人で見たのがわるい。友達いない俺がわるい。こういう人格を疑われかねないアホな過剰スプラッタは多人数でみると確実に爆笑してるはずだもの。みんなで見た時は俺かなり笑ったもの。すてきな笑顔で場内はやさしさで包まれたもの。そしてあの最後の芝刈り機でのあのあまりに見境いのない虐殺は微笑ましい限りの素敵なそよ風が駆け抜けたもの。でも今回はもっともっと!と強く血しぶきコールを熱望する僕がいたのでした。想像内のブレインデッドはもっと強かったのに。あの頃の君はもういないんだね。
ということででも血の海で足がつるつるっていう最高に体張ったスプラッタな笑いはあいかわらず爆笑。あれはやはり天才的なセンス。ギャグセンスが類まれなパワーであなどれないけどなんか意味不明にねむかったんだよーごめんよー130点

『ジョニーは戦場へ行った』 (1971) ドルトン・トランボ

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これはそれどころじゃねーってかんじがムンムンでしたぞ。それはなぜってマジで聞いてる?字幕が最高に見づらいっていう有り様なわけでかなり画面に接近してみている俺の身にもなってくださりませんかねえ、とここはひとつ抗議の電話をかけようとしましたがどこにかければいいいんだと悩むこと小一時間。ぶっころすよ。でもこんなおれの悩みなんてジョニーさんに比べたら。だってジョニーったら超悲惨。手どころか目も耳も足もないのですもの。頭を揺り動かしてモールス信号で意思伝達ってそれ恋できねー。悲惨!かわいい看護婦さんがそんなジョニーのために体を撫でてくれたり涙を見せるなんてそんな美談も単にこの看護婦さんが硬派な畸形マニヤだとしか思えないというけっこうな感動が台無しのおれの感想を許して!
でけっこうこれ延々とジョニーの妄想と生き地獄を見せつけられるだけだからクソ長いよねけっこうな苦痛88点

『アイ,ロボット』 (2004) アレックス・プロヤス

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ロボットとは人間が目標なんだよね。より人間に近い精度を目標とし、そしてロボットが機械である以上ロボットが人間を凌駕するのはその皮膚の絶対的な硬度と数学的な処理速度あるいは攻撃力であるでしょう。つまりその分野ではもはや人間以上の能力を複製するのは容易だとしてなにが難解かはいうまでもなくそれは人間らしくあるかということでしょう。でもえてして人間らしくあるという行為の意味するところはいかほども合理的なものからはずれたところのつまり男らしさという事であるわけでロボットに仁義が理解できるかというとわかるわけがねえという事ででもそれがわかったところでなんの利益にもならない無駄な動きだとは重々承知しながらもその人間らしさというものを人間はお互いが信じあうことで助け合い運動的な安全と信頼が生まれたりそんな正義の根幹を無意識ながらも成しているのが人間ってすばらしいよねという感動へと直結してもいるわけでそういったお情け的な感情を非合理ゆえに切り捨てると初期のウォーズマンです。ウォーズマンはでも感情としては戦闘に不利益を醸す感情である不敵な“笑い”=“怒り”を設定されていた時点でその後の人間らしさを誕生させてしまったとは皮肉なことです。冷酷な無慈悲な戦闘マシンを作るうえでたとえそれが残虐度を増すためであっとはいえ感情を導入してしまった時点で設計ミスは否めないわけなのですがそれはキン肉マンにとってはよかったことですと今なら言えることです。ということでもしロボットが人間並みの精密さを誇って接近しもしくは人間以上に人間らしさを会得してしまったその時人間はロボットによって取って代わる存在として重宝されるでしょう。そして人間らしさとはなんだっていうとそれは限りなく白人だっていうことです。あの顔面蒼白のロボットのフェイスは純粋な白人による白人のための帝国再建を目指す礎となるべき白人のパワーアップした姿を模して作られた恐るべき作戦であるのです。そんな純正白人未来型ロボに対抗するのが黒人というのもなにやら勢力地図です。やっぱアレックス・プロヤスは舐めちゃいけない感動作なのであります100点

Paging Navigation

Navigations, etc.