死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『オールド・ボーイ』 (2003) パク・チャヌク

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こんな巨大なポルノが立ち尽くしてしまったら僕はモジモジするしかないほどいやらしい手つきだ!それは手の甲にかぎりなく浮き出る血管の卑猥とも似ているし血管が脈打つ陽根のように逞しい放課後の校庭のなかの猥褻だ!その巨大なぽっかりした穴はまるごと俺の全身それ以上の拡大を続ける空気を切り裂く断末魔なのでもし俺の体にあいた風穴が通り抜ける鬼門がそれ以上の派閥をうけいれるべく大きく解放しなければならないのだとしたらその身体のなかに開いた空洞とするのが穴が開くという認識である以上、身体の実寸大それ以上、すなわち人間として許容される面積以上の大きさを誇る風穴は風穴としての任務を遂行するのは物理的に不可能であるのだからそれはつまりおれの存在そのものをも否定しようとしさえする不審な動きだ!それは実におそろしいポルノだ!
ということで原作が日本の漫画である以上じつに古来伝道ジャパンな物語設定が全体を支配し疾走する映画であってつまりは口は災いの元であるとか舌きり雀とか教訓的にそんな残虐拷問絵本をいやらしく現代に復元した諺の教本であるかのような猥褻である以上この興奮は第二次性徴の尖った乳首と相似関係にある。それはまるで授業中に説教されてはいても正座で不穏な快楽に手足の痙攣をとてつもないポルノの感覚で記憶するような破廉恥さと不義でもある。そんなポルノに敏捷性を加えたらきっと夜の道に星空などはいらないのかもしれない。そのくらい強力な発光が視力を奪って歯根のダイレクトな触感は脳髄にメキメキという暴力的な発音を何度も反復させてしまうにきまっているからだ。
しかしそんな卑猥な歴史の学校の伝説の継承者としての知名度で人生狂うどころか逆に限りなく成功者としての地位を確立してしまっているあのボーイの生き様がすさまじく謎。あんな金持ちであの筋肉の柔軟性の所持者なんてきっと天は二物を彼に与え給うた。だってあんな毬栗頭で乳首を刺激させたら地球の回転が右方向に反転するほどの威力を彼女の咽喉の接吻の業者となって夜景の白さを反射させることとなるでしょうあの隠微の笑みはおよそ犯罪だ698点
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『レッド・ドラゴン』 (2002) ブレット・ラトナー

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これはいいねえ目玉刳り貫いてそこに鏡挿し込むとかってなかなか死体創作に対する思想と哲学と魂をぶちこんでる芸術性に迫力あるもの。基本的な日常生活においては自分の姿を映し出す鏡に対しては過剰な嫌悪感を示しつつも時に死体を演出する場面においてのみ鏡を観客に見立てるという、時にその己の魔界的な姿を認知させる為にショーアップして世間の脳髄に事件を刻み込む手法がありますがここでは最短の観覧席を設けますつまり被害者こそが最前列のかじりつき生中継の観客であると。ひれ伏せと申しております。と思いきやでも実際には認知させたいのは世間ではなく自分自身なんだ。自分に巣食う魔物ではなくて神になりたかった男の格闘の歴史だからだ。その壮絶な光景は自分が神に接近してるという自覚を促す行為に他ならなくてだから元来見る機能を有する眼球を真っ先に穿り出してからに鏡の破片を眼球の代用品としてつっこんだりしてこれは殺される側に視力があるのは重要ではなくていつもは自分の姿を見ることのない噛み付き魔が自分を見る為に視力を取り戻す行為であるということよね。死を統率する力を掌握する神への変身後の姿は見るに値すると。文字どおり背中に魔物を背負っている形である噛み付き魔が自分の魔物を見るにはなによりも自分の目ではなく他人の目が必要であったと。正確には必要なのは他人の肉体を所有することにあって即席の鏡面眼球に映る自分を見る行為というのは自分の目を駆使してるわけだけども死体そのもの、殺害そのものの実現それこそが神への接近を重層的に可能とするよね。実際角度的にひとりで背面見れないからありえない体勢で首が裏返しなるくらいの背筋力と魔力が必須なわけでしてそんな神に近づく崇高な行為として 自分を見る 機能を有した死体を媒介して改めて自分を照らし出してみる自己投影システムとかまったくのオシャレさんですよな。なかなかの粋ですよな。でもって殺害ショータイムは自分ではないなにかが憑依したりしてるわけですからその時は他者の意識の介在する視線でもって目撃されるべきではなく死体の目に埋め込んだ鏡こそが観客として、つまりは自分が自分の変身した姿の第一の観客であらねばならぬという神の鉄槌の証人には神々の指紋を埋め込むんだという自覚の全力投球。変身前の忌むべき姿を嫌悪しあらゆる視線からの遮断を励行していた男が唯一心を開くのがやはり盲目の女であると。見れない者の前に神は降臨しないんだ。だからあれほどの接触も可能。でもかといって魔物に自分を食われないためにむしろ食ってやるみたいな気合はすばらしいけどマジに絵を食うのはどうかと思ったよ98点

『サイコ』 (1960) アルフレッド・ヒッチコック

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世紀のマーダーアルチザンエド・ゲインを素材に彼がもしやサービス産業従事者としてモーテル経営していたならば無実の人々が偶発的に惨劇に遭遇する率が無防備なまでに昇竜拳で加えて犠牲者も長距離ドライビング移動途中にこぞってひっそり失踪ですよねという設定が生み出すまるでこれは領域に踏み入れたからには死ぬ運命型ホラーの原形。というか別にどうでもいいんだけどモーテルってモーターとホテルの合体だっていうの知ってた?自動車で突進していきますからね。というわけで数々のエドゲインフォロワーの中でもまったくもってこれは殺人鬼が通常いてはいけない場所にしかと待ち構えてる設定が反則。そしてエドゲインが希代の変態たらしめるその極度のマザコン気質に焦点を炸裂させてサイコの男前はひとり二役で分身つくりだす変態性殺人鬼としてヒッチコックは造形してます。管理人室におもいきし隣りの部屋を監視する穴ぱっくり装備されてるしまるでお誂え向きの殺人基地としての機能が完備されてるという申し分ない環境。だいたい他に客こないしだから必然的に目撃者もいないし一人でも標的が飛び込んできたらば全力で殺害任務に打ち込める最高の環境ですよね。でもって実際あんな声帯模写までご披露しちゃってるからにおじさんすっかり騙されてしまったよというかエドゲインモデルだと知っていながらも普通にまたびっくりしたりしてるから僕は軽く記憶障害かと思うほどだからね。というかだってすごい不潔な描写力の親子の会話聞こえてきてたものね、あれ実力者。なかなかに人格を分裂させてひとつの肉体が犯した行為をまるで他者の意志であったかのように殺害時の人格を隠蔽することによって自己弁護を図る人格の出し入れ自由がすてきな魔法だよね100点

『ほえる犬は噛まない』 (2000) ポン・ジュノ

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おれの心に韓流ブームの嵐がやっと届いたよ!おそいよ!そよ風さんおそいよ!それだから貴様はいつまでたってもそよ風さん、だなんて親日派な言われようでなめられてるんだよ!とにかくここ数日で眼鏡の強度を鍛え上げないと死者二桁は余裕でだせるくらいの破壊神なごとき暗黒な存在にはなれないよ!台風なんてあれだよ。おまえはいつまでたっても号で呼ばれるなんていつのまにか名前ではなくて番号で呼ばれてしまっていた名前を失う刑務所内のような存在証明みたいだ!生きてるっていいたいなら、生まれてみたなら、せめて竜巻レヴェルをめざしたいところだ!でも台風もタイフーンってなんか、あれだね!似てるね!大体おなじくらいの規模同士っていう審査結果だとけっこう僕自信でるんだけどだからといって明日のお弁当ぼく作るのやだよ。それはおまえの使命だから。おまえご指名の使命だから!でもできれば自身の歴史教科書をつくるとしたら号よばわり止まりじゃ無名に等しいってことをいいたいわけ!せめて外国のようにキャサリンとか命名されてあいつはすげかったね!とかの伝説残すくらいじゃないと生きてるっていえるかい?大陸横断なんてウルトラクイズの能瀬さんは何回横断してんだよ馬鹿。そんなことばかり言ってるからだからそれどまりだって言ってんの。やっぱどうせならハリケーンくらいの勇者として魔王に挑みたいからカウントしたいのは死者7万くらいの巨大な歴史でキッズの名実ともに人気をハリケンジャーから奪取したいなって、そんな話だった気がして、韓国はおそろしい国だなっておもったの。でもきっと犬はうまいんだろうなって思ったの!95点

『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする 』 (2002) デイヴィッド・クローネンバーグ

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うお意味なくねこれ。結局のところどうでもいいけどねって物語だもの。なんかこれ悲劇もすべては自作自演の自業自得の夢芝居でしたってことでしょ。でも何気にまったくもって映画の構成上いっさいの破綻もなく緻密な理数系の技術が総動員されてるいつものインテリジェンスがここぞとばかりに爆発してるわけでおもいきし全否定にならない不思議。だいたいにして予め見える事と見えない事というあたりまえの前提のうえでこの世界は構築されていてそれが本来の法治国家であるはずなのにこれが映画的な虚構であるから許されるアクロバット体位だよねという勝手な僕の思いこみが裏切られるというむしろぼくらの当然の間違いを最後に訂正されるだけだ。つまりはおもいきし現実的に不可能な視点と遭遇が繰り出されるわけですがそれは当たり前のようにありえないという普通の着地点なわけでそんなアクロバティックは当然のごとく空想に過ぎないということだ。間違ってねえよ。そして人間の空想の湧出というのは何もないところから無限に産出されてるようでいてその実なにもないところからはなにものも生み出されはしないという当然の帰結。実体験の乏しいちびっこに絵を書かせてみればまったくもって不思議図書館な物体が生み出されるというのは実は稀で大概がどこかで過去に見たことのある絵の模倣或いは復元にすぎないという実験結果。つまり空想とは有限であり非力で万能ではなく元はといえば個人的な実経験をもとに自己の戦闘値の限界を知っているからこその万能感の希求と実現可能へのベクトルが交錯する壊滅的妄想パワーであってだからその自分には不可能であるという経験を通してしか物語を仮想することができないという前提条件のもとに成される行為であってまったくの無知からは死さえもそして死を知らないものは恐怖さえも感覚的に把握できないし把握しきれないことはそれを基盤に飛躍的な創作もできないし実際の外界の感触と圧力を測定する想像力が機能しなければ世界に適合するに著しい欠陥をおこすのは自明。そんな器具類に被害妄想の負の部位をフル武装して合体していけば加速度的に困ったことになりますよねって話。しかもその空想には実体験が絡んでくるわけですからおもいのほか記憶を陵辱する行為とも等しいわけで思い出は奇襲されて脳内分裂の刑確定。母親の残像を淫売的なものに分裂させてその暗闇の隋道でなされる手こき行為と女主人が鍵束をまさぐる光景との相似がこの空想の視点をして虚像の帝都は完成されたものだと気づいてもしや僕はひとり脳内分裂のまったくの主観映像による空想のお供してたわけですかご苦労様ですって感じになってしまうわけですからつまりこの人脳みそに蜘蛛の巣張ってますよねというもうほんとどうにかして79点

『白い花びら』 (1998) アキ・カウリスマキ

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べつに本筋30分で事足りそうなところをサイレントで字幕付きにしてるがゆえに収録時間が倍増とかなんかそんな感じさえするんですけれどだからといって自動車の音とかドアの開閉音のときには現実音が鳴り響いてサイレントであることを破壊してたりで完璧にサイレントムービーとして忠実なわけではないという要するにそこになにかしら単なる懐古趣味ではないことを宣言すると同時に白黒でなければならない意味と映画の意図するところあったりすんだろうけど基本的に台詞無しで環境説明を強いられるので行動すべてが劇画調でなにより音楽が壮大すぎて実にぼくそれ鬱陶しいんですけれどなんとかなりませんかって話。でももしやこのいつになくヘヴィーな展開が違和感なく激走するにはサイレントの体裁を拝借する事でいくらか非情の極致を中和する作用があったりするのかもしれんという第一の発見。そしていつになく単調であることを拒否したかのような激動展開を繰り広げるには映画的なアクション力を正当に発揮する必要性があったという第二の発見。そして基本線がサイレントであることによって自動車の発する音が物語における警告ともとらえられる不吉の死兆星的な記号の役割を担うという映画装置の再発見だしだいたいにしてあの女はいつにもまして鉄仮面。かわいくない。いつも思うけどかわいくない。とにかく実に内容的にはカウリスマキにしては思いのほか生々しいヘヴィー不幸なんだけれどもトーキーのおかげでいつものカウリスマキのポップ性と同等の効果に仕上げてるよ。でもとにかく俺この展開嫌いっつーの。女も夫のところに逆戻りしたいと思うのも騙されたと気づいてからだという結局のところもし騙されていなかったとしたら女は金持ちと幸せに暮らしましたはい終わり、ですべて完結しがちな非情。あらためて夫の魅力再発見とかあれも結局のところ今陥った自分の境遇からの脱出を図るための自分なりの精神的な逃げ道を確保するための都合いい解釈としか思えないし要はどっちを選ぶのかはどっちがより贅沢な生きざまかであるかだけでこの女はただ自分をより高みに押し上げてくれる境遇を望むに過ぎずしかして夫を再度選ばなければならない積極的な理由はどこにもないという。それは強烈にこわいわけだけどそれが現実なのね、ともしやそれカラーとリアル演技で繰り広げられたら玉手箱的な娯楽要素が消滅するというこれはぼくのカウリスマキを好きなポップな不幸要素を破壊しかねないところを微妙にドリーミーに緩和するのはほかでもないこの手法。まあでもあんま好きくないというかあんまおもしろくはなかったかもだ57点

『鏡獅子』 (1935) 小津安二郎

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うおお歌舞伎がわからないとうっかり途方も無い間違った事を言いかねないからとりあずこれは素晴らしいねえとか高級貴族趣味的な心にも無い発言をしてみるけど貴族の社交界ではすぐ見抜かれますか?というか何をもって良質かを判断するのか基準がまるでわかんない分野なんだけどとりあえずあの白い髪振り乱す技は地面の埃とかですぐさま真っ黒になりそうですよねとかいう感想で駄目ですか。40点

『エルム街の悪夢』 (1984) ウェス・クレイブン

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もしかしてちゃんと見たのって初めてかもしんない。普通におもしろでしたよ。寝たら恐怖到来っていう設定は人間誰しもがその状況が不可避である生物であるが為に実際どうしようもないわけなんですがでもなんで真の標的本人周辺から襲われなければいけないのかと思いますよね。もともと20人子供殺しのフレディであるにしてもそれだけで積極的に子供から襲うというのは動機付けとしては弱い。いやでももしかしたら大人になってしまってからは夢というものを具現化する力がなく夢と現実を混同すること等ありえなくてつまりそれは夢のなかに生きるフレディにしたら根本から存在を否定されてしまうわけで圧倒的に不利な状況下での戦いを強いられる事となる。子供から大人になり現実的になったという実質的な人間の成長が襲撃を妨げる主たる理由であるかもしれない。大人たちは夢を信じられず只夢が具現化した物やら事が現象として出現した時のみそれを事実として受け入れる事が何よりも象徴的でだからこそ夢と共に生きる子供たちは成す術もない、夢は夢でしかないと気づくまでは悪夢と格闘することとなる。そしてその悪夢の存在を信じ始めた時大人であろうともそれは標的となる。フレディの本来の目的大人殺しは完遂されるわけだ。フレディは悪夢のなかで人を殺すわけではなくてあくまで夢の中で殺された被害者本人がダメージを現実化するに過ぎない。夢のなかと現実を錯綜しさ迷ってしまうのが死に至るわけででもいくらなんでもそんな状況下で瞬間的な眠りに就く事の出来る特技のナンシーはすごい。隣りの家で人体破壊騒動巻き起こってるのに30分の間に家中にトラップ仕掛けたり移動したり寝たりととにかく凄いですよこの娘は。あと廊下で死体袋が勝手に動くセンスかっこよかったよでも爪でキーキーは反則だと思いました70点

『恋の門』 (2004) 松尾スズキ

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普通だよ。これのどこが豪華キャストっていう扱いなのか誰かおしえて。
サブカルな人選ならなんでも楽しいっていうおまえら全員死ね。テレビなんて有名人ばっかですげえぞ。だからそんなところで評価するならテレビが一番偉いっていう俺の話ちゃんと聞いてる?ということで比べるのあれだけど結局比べてしまうわけなんだけど漫画のほうが断然おもしろいよ。だって汚い不具合を見せつけあうことに美を見出していく波動に意味があるのに汚いところを隠し通せると思ってる時点でこれはだめなのじゃないかしらもはやゲロルをくっきり鮮明な貴公子として映像化しないであんな清潔な交際を保持しようとするド根性それは舞台の演出では正解だとしても敢えて映画の場面を作る以上さもそうした行為がある(あった)かのように見せるという、そんな舞台演劇でもやれる擬似的な光景が彼の場合に限りは決して正解とはいえない。しかも汚らわしくてファっク満開なところが重要なファクターであるのにそこを避けてるのが致命的。汚い衣装を清潔に作りこんでしまっている不純さがだめだって話。しかもなんだあの軟弱なコミケの清潔な空間はよお俺はもっとデンジャラスで骨折する場所だと聞くよ。翌朝は死体がちらほら散らばってると聞くよ。もっと正視に堪えきれない破壊力あるカオスな空間を期待してたんだテレビで放送できないような本気ぃぃぃ!俺は汚い秒殺をみたいっていってんだよ。
でも塚本晋也が死んでみんなで見送るとこ最高笑ったけど。あと着地50点

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