死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『赤い殺意』 (1964) 今村昌平

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ひ、ヒー!時間むやみにくそ長かったわりにとくにこれといった感想もなく。がんばった時間かえしてくれ。というかおもいっきり訛ってて一体何喋ってるのかまるで解読不能なんですけど設定はどこですかこの障害者丸出しの過疎地帯はよ?って思ってたら、ひ、ヒー!東北直撃!かなり至近距離!というか隣!おれもこんななの?同族なの?あの、軽くめまいが。
いや山形はもっとハイセンスなはず!嘘だと言ってくれ。悲しい噂は嘘だと言ってくれ。ということでその正体不明の方言が陰惨さを醸し出してて土着毒素粘着ねっとり陰湿な体質が窒息死確実なかんじでこんなの絶対お嫁に行きたくない場所5年連続首位独走が確定したようなものだけどそれは東北にたいする間違った思い込みからの舞台設定に過ぎないのだと逆に俺の方から思い込みたいので意地でも同調しないですから。でもあのストーカーメガネっ子探偵が全速力で後方から車に撥ね飛ばされて空中大回転は勢いがあってたのしかったよ何気にあの子えろすですし。図書館って基本的にいかがわしい空間ですし。55点
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『ドッグヴィル』 (2003) ラース・フォン・トリアー

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やられたらやりかえせってことですな。むしろ2億倍くらいに徹底的にやり返すべきっていう崇高なメッセージがここまで明確だとすごい気持ちいいよね。これむしろやり返さなくて博愛の精神で人類皆平等犯罪者級の愚行にも寛容で心やさしく聖母的な態度で受け入れるべきであるなんて偽善の世界は滅びればいいってことです。だいたい自由がなんで成立するかというと自分を脅かす危機の可能性を打ち消し合うという原則をお互いが保障し合うことに拠っているわけで自分の自由を守るには他人の自由を守るという共生条件を侵害しない(他者の人権を侵害しない)という条件があるわけです。だから他の共同体間の共生条件を侵さないかぎり何をしでかしても共生条件の範囲内では許容されるべきであるというのが自由。つまり秩序への信頼が自由の前提であり自由な振る舞いが信頼される秩序を生み出しているわけでその原則を理解しない、理解できない、理解しようともしない共生条件を無視して他者に危害を加えて人が安全でいることの自由を脅かしたりする、世界にとって有害な存在はそれ以外の絶対多数の自由と秩序を保障する為にも排除することこそが正しい。あほは死ぬべき。そしてあほは殺されるべきであるし徹底的にみんなで殺すべき。それがみんな楽しく自由にいられる正しい世界です。人類社会は伝統的に「仲間を殺してはいけない」し、そして「仲間のためには人を殺せ」という血讐と同害報復のふたつの規範で維持されているわけでむしろ復讐は国民の義務ですな。だからやられたらやりかえせと思うのが人として当然。誰もがラストに愚行を受け入れるな許すなやりかえせと応援したはず。それが正しい。そう思わないなんて間違ってるぜ。金と権力これ最強。そんな自由の国っていいよね素敵だよね402点

『鬼婆』 (1964) 新藤兼人

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パワーあったよ。なんか音きもちわるいし。んで穴をジャンプしたラストさいこうに笑いましたね人間だよおおーーーって叫びながらそんなすげー怖いって。あれ確実落っこちるのかと思いましたもの。なのにピョーンて。すげえ脚力。婆の跳躍ほんとすごいから見てみれ。しかもあれ追いかけたところでだからなによって感じじゃないですか。全力疾走で追いついたところで何がそこには待ってるのって感じの得もしれぬ全開の虚しさが漂うよね。そこに愛はあるのかい。心にダムはあるのかい。でもって戦乱の世のあいだにこういう落ち武者狩りというか死体暴きみたいな不意打ちを炸裂してくる村民はけっこういるから用心しないといけないという話はよく聞いたことあります武具はけっこう戦闘力よりも優先順位は豪華絢爛命なので田も畑も全滅した土地ではそれを武器商人に売ることがビジネスになりうるわけで兵器売買は立派に生きる為の仕事となるわけです。戦で迫害を受けながらも生きるためには逆にその戦をも利用する強かな人間の「生」に関わる事が前面に押し出されてきます。食べる場面が野獣そのもの交尾も野外で見境なく野獣そのものなのもすべてここにあるのは生きているということなのです。そして女ふたりの関係をかろうじて繋ぎ止めていた息子の消滅によってあきらかになる本性。人間とはこわいですね85点

『讃歌』 (1972) 新藤兼人

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泣いた。悪いけどこれは泣いたね。この屈折しきった恍惚の表情の喜ばしい奴隷根性におれ泣いたね。おそれいったね。この子は虐められる素質抜群ね。こんな変態は一匹飼いならしたいというか俺もむしろ飼われたい予感!というかいまさら言うまでもないけどマゾは偉大だ。マゾは無敵だ。なぜならマゾは敗北にこそ価値と快感を見出すために実質誰にも負けないという不敗神話を築き上げるからだ。だからおまえらよりすごいし誰よりも偉い。マゾにとっては敗北がそれすなわち勝利をも意味するがためにだからある意味で世界最強はマゾであると。マゾにとっては負けるが勝ちである以上マゾは誰にも負ける事はないのです。だから強い。そして徹底したマゾヒストの受動性は能動性に転じるのです。それは徹底的に無抵抗であることでむしろ能動的に世界に働きかけるというガンジーの理念にも通じているのでこの奴隷マゾ佐助は圧倒的なクオリティの奉仕で盲目の美女春琴に仕えます。白塗りです。女しろすぎ。それはやりすぎ。やりすぎなくらい白すぎ。透き通る白い肌がぞくぞくしますな。透明は儚いですな。もう変態的に仕えますとも。なにもそこまでというくらいに仕えまくりです。便器代わりに俺の体を使ってくれと懇願しかねない雰囲気にどきどきです。
そして支配されているようでその実「支配をさせている」という点で主導権の所在は奴隷的立場にこそあるのが正式な相関関係です。自分は極限まで低姿勢ながらもそれでいて美女の心を所有することを可能としているのです。これぞ奉仕の聖典最終奥義いたぶられるのは至上の悦びですいたぶられればいたぶられるほど彼は世界を支配していくことになるのです。原作は谷崎潤一郎『春琴抄』100点

『ハウルの動く城』 (2004) 宮崎駿

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ハウルが動いた!すごい動いた!はっきりいってものすごい速さで動き回るから視力が3・0以下の都会っ子たちは見に行かないほうがいい。なぜなら何も見えないからだ。いや正確にはハウルだけがその動体視力では捉えきれない音速だ。城も動くけどハウルも動くの!勢いあまってハウルはその10ヶ月間の激しい肉体強化をして写真集撮影に臨んだ素晴らしい筋肉の凹凸が光のページェントを醸しだす肉体の一部にあって且つ最終関門でもあるその無修正なポルノ!ヨン様の肉体がCG加工されたつまり修正された人工であるならば修正どころか無修正を披露する猥褻具合に男気を感じずにはおれない!もぎぎー!無修正なポルノ!そう、これは山形っ子の彼が良く使う言葉だがしかし同様に山形っ子である僕も躊躇なくその言葉を使おう、なぜならハウルはそれくらい無修正なポルノをポロリと画面に投げ出して轟音を響かせたのだから・・・!!
それでも年齢制限R-15を免れたのはきっと子供ではそのハウルの光速なあられもない卑猥の動きのすべてを捉えきることは不可能だとの映倫の判断からだ!いや正確には映倫の審査員のメガネどもはことごとくハウルの猥褻の一部始終は見えていなかったのかもしれない・・・。そのくらい映倫とはメガネ着用率が全国区レベルのリバウンド王たちの白装束集団なのである。でもそのへんの無職のメガネと強さが違うのはそのメガネを紐で固定するタイプで激しい横の動きにも耐えうる耐久性と強度を可能としたスポーツマンシップに溢れているという事だ!逆にいえばそんなスポーツタイプのメガネ(古田のアイメトリクスはシュワちゃん主演作コマンドーにおける役名メイトリクスと名前が似通ってはいるが相互関係は未だ解明されていない大いなる謎だ、けど古田のあれは紐で固定するタイプではないのでバスケには不適合との烙印が押されている)でもってしても見えないハウルを普通のメガネの君達がどれほど見れるというのだろうという判断はたしかに倫理には反するが興行的な面からもその映画の性格上オーディエンスの客層比率の面からいってもその映倫の英断はじつに合理的で正しいといえるのかもしれない・・・!!
でもビデオ化されるときにはスローモーションという文明の利器を利用した悪質な鑑賞法をする恐ろしい天才子供たちも多発するはずだからレンタル店に立ち並ぶ季節にはきっと大人コーナーに陳列することになるであろうかわいそうなハウル。
と、もはや観る前に既にぼくの脳内ではハウルの動く城をみた俺様自身のすがたを予見した貴重な未来予想図が完成してしまっているという狂気ぶりでしたのですがしかし実際これかなりいいよ。隣のお子様さすがに後半飽きてたけどキッズにはこの哀愁の強度は理解できまい。なぜなら大人料金を支払ってはじめて感動できる入り口ですでに差別的なアナル喪失物語だからだ。美男子のプリティなケツなんてはっきりいって超見どころ!あれが美少女のケツであるならば紛う事なきポルノだと断罪されるところが美男子という設定だけで許されてしまうこの矛盾にみちた世界の盲目を呪わなければいけまい。それは白昼堂々とちんこを晒す男児のテレビCM映像は有り得てもそれが例えば女児の未発達のインペリテリであれば一転ポルノグラフィティに成り得る狂気と同種の矛盾を孕んだ男女平等思想の問題点をここに指摘できる事実に相通ずるものでもある。そうこれは宮崎駿が美少女の設定では直球に描くことの許されないケツ画像をあたかも少女のようなプリティーなハウルの菊門に託した人類の大いなる試みの第一歩なのである。次回作からはこの破廉恥極まりない視点で美少女のケツを執拗なアングルで攻め立てる映像が豪華絢爛に動くことが予見される大いなる布石だ!205点

『霧の中の風景』 (1988) テオ・アンゲロプロス

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おごごごごごごアンゲロプロスのくせに眠くない!なぜならあの死にたくなるほどの長回しが終盤以外には多用されず実に軽快な動きだ。やるきがあっておそろしいぜ。フットワークが軽いぜ見やすいぜ。でもだからかあの気の遠くなるような神々しさは半減してしまって足元にひれ伏して靴をぺおろぺろするのが日課の俺にして見ればその点不満ではあるですがそれでも別格の奇跡的な場面が次々と登場してぼくのうきうきは止まらない!止まらないこのうきうきストッピング!その瞬間人々が雪を見上げ制止する!すべては幼いふたりを中心に世界は動いてるかのように自由自在に一時停止だおそろしい!俺の願いが通じたかのようで盗聴器を手探りでまさぐるがその様を監視されてるかのごとく次は盗撮の危機だ!エンドレス!そこに何が映ってる?おれの痴態がまざまざと?その拾い上げた何も映ってないフィルムの奥に空想は無限大にひろがる!霧の中になにが見えるんだ?弟はお父さんは近くに感じるというけどそれは距離感を知らないがゆえの期間限定大人になるまでの子供の特権の幸福だこの世には知らなければいい事がたくさんあるんだ。お姉ちゃんは一足お先に大人になってしまったよ。知ってしまう事は悲しい事でしかないし大人になるというのはそういうことだ。知るというのは限界を知るということ。それは悲しい事だけど悲しみに慣れることができるのもまた大人だよだから幼い二人の移動には物理的な距離空間とは無縁の宇宙をさまよう銀河鉄道行き先不明のかなしい旅だ。過酷だ。世界は過酷だ。でもそれ以上にやさしいはずだ。やさしいはずだと俺は信じたいんだそうでないと霧の中の景色のふたりは悲しみの風景としておれは泣きたくなる。世界はもっと豊かだし、人はもっとやさしい。3900点

『ウェイキング・ライフ』 (2001) リチャード・リンクレイター

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実写のうえに更に色上塗りとかして無理矢理アニメにしてぼくの気を惹こうと必死なわけでした。実際これがまるごと実写映像ならそら寝るわな。使徒言行録とかなんですかって話ですよね。有名?でもおれの好きなアニメ部類と見せかけといてかといって輪郭から色がはみ出て浮遊感がまるごとだったのが少しばかり注目の的だったぐらいで特にほかに映像自体はたいした興味はないのでしたというか完璧に途中で飽きてるおれがいたよね。でも会話内容がなんか頭よくなった気がして楽しかったよね。ユングの集合的記憶と輪廻を連結させてたりティモシー・リアリーとかフィリップKディックとかキルケゴールとかとりあえず知ってるってことにしとくことにしたよ。でもって肉体の死後6~12分間は脳は生きてるとかその状態って実際どうよとかの話。その時に実際の肉体は動かないのにさも動いてるかのごとく錯覚してしまうとかの状態が幽体離脱とかそんな素敵な空中浮遊を可能としてしまいそうだけどそれすなわち肉体の死をも意味しててというその凶暴な知識を今し方得てしまったがゆえに6分間の素敵な空中浮遊のお時間は楽しくないものと変わり果てるのみだ。
まったくもって切ないお話ですよね。その瞬間夢の中の6~12分が人生の一生の時間と等価になるんだ。つまりは死は生の外側にある夢ですよね。目の覚めることのない夢ですよ。ずっと夢見がちの乙女ですよ。その夢見がちのおれは死んで尚夢を見るよね。気持ち悪いですか。そんなおれは気持ち悪いわけですか。ということでだからことごとく死の映像も夢心地ですわな。座り込んでガソリンで火だるまの男とかレイジアゲインスト・ザ・マシーンのジャケのベトナム戦争反対で焼身自殺した僧侶みたいでそれに誰も気づかない無関心の町の風景とかアナーキックでかっこよかったよね。あとカート・コバーンとわの振り回すやつかっこよかったよね。銃で撃ち合うのとかも実にドリーミーでかっこよかったよね。というか全然関係ないんだけど黒人はアニメでも掌のみ肌色とかってしかしあの色素の格差はなんだろうね。ほんとマイケルみたいに白人色素に血液交換とかする場合に白くするとこ部位限定でとかでおもしろ斑模様の整形黒人とか改造可能なのかなとかしきりに考えてたよなぜか。86点

『式日』 (2000) 庵野秀明

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いい加減もうそろそろ書かないとぼくは現実世界に戻れなくなりそうなほどに妄想の旅はそら長く険しいヘヴィの道でした。危うく視床下部の小世界に永住権を獲得して脳内に自発的に幽閉されてしまう勢いでしたがなにせみんなからの青春の応援メッセージが毎日10通きっちり横分け7:3で届きます。更に追い討ちをかけるようにぼくの存在自体が生きがいであるかのようなグラビアそして現実逃避決め込んだそばから奇襲策としてすっかり俺の心わしづかみの爆薬つまり対岸から僕の方にめがけて現実に戻っておいでと手招きする美女が数名待機してましたのでそらリターンしますというわけで不自由な現実に帰還してしまったのです。でも実際ジャンプするの楽しいし途中で休憩はほんとに球形で手がつるつるしてしまいます。なので忘れる前に書かなきゃということですがなんつーかこれ普通に終わってますが。あんな華麗にお上品に着地するとはさすがの空想博士のおれでさえも予測してませんでしたが庵野秀明と岩井俊二という二大少女漫画目線の巨頭が生み出すこれまるで気持ち悪いほどに素敵電脳少女世界。まるで乙女。性的な接触の予感があらかじめ削除されたかのようにそこに広がるのはまるで庵野秀明の電車模型に対する異常な偏愛描写と線路のテレパシー。緒方ブサイクアニメ声がむしろ林原のそれよりもぼくのあたまで再生していて空気を伝染しながらも驚くほど映画としてのまとまりを見せつけてますがこれ思うにアニメ製作経験者がこれほどまでに映画的に作る事は出来ても映画製作者がこれほどまでにアニメ的に実写撮ることは不可能これ決定。だからスティーブン・セガールの娘がこんなに大きくなりましたってそんな事後報告が父さんには悲しいのです99点

『地獄に墜ちた勇者ども』 (1969) ルキノ・ヴィスコンティ

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ひとむかし前の俺であるならばこんなの速攻で大嫌いだと言うに確実視されていたであろうに母さん、ぼくはすっかりこんなにおしゃれな体になってしまいました。自分でも驚くほどに普通に破滅に見とれてた。うっとり美少年の顔立ちとその幼女から熟女というか実の母までの幅広いストライクの鬼畜に見とれてた。夢中だった。鉄鋼所のアイアンクロスが凄まじい殺害塩化ビニール的に反社会だった。滅び行く悪意と憎悪の形容は全てホモセクシャルな叫喚だ。ナチズムの親衛隊の制服の遮蔽幕のかげに軟弱な筋肉を隠匿しあたかも己自身がナチスの威力そのものを体現するほどだと錯覚してしまうくらいに堅牢に体いちめんに鎧を纏い猥雑さを精神の地下牢に閉じ込めるんだ。ここに制服が権力そのものへと変貌するという最も重要な原則を把握するんだ。忠とは私心があってはならない。すべてを放棄して金と権力に精神も肉体も捧げ尽くして個人的な自分は死んで私心は死なすべきなんだ。私心を殺戮した瞬間にナチの子となる。集団に個人はいらないんだ。集団の忠とは私心があってはならないんだそこにはもう自分がなにをすべきかどうかの決断の不安はない。なぜならナチが選ぶからだ。個人が選ぶのではなく集団が選ぶんだ。個人が死んでも個人が滅びる事はないんだ個人はナチという全体主義の集団のひとりに過ぎないからだ。集団が存続する限り個人は永遠に滅びない、そうこれがナチという集団への完璧なる従属。ナチスと美少年はすさまじくお似合いだ107点

『魚と寝る女』 (2000) キム・ギドク

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東洋の神秘とかいうけどこんな神秘すぎる場所じっさいおれ超行きたくないんですけどもう泣きますけど。水面に小屋が浮かんでます。恐怖すぎる女が管理する神秘な場所です。超絶能力な女です。動物の皮みりみり破いてみたりします。魚なんか包丁でメッタ切りで粉々です壮絶です。あと人の顔面釣り上げてみたり痛すぎる光景を無表情です。ナウ!ネクロマンティック!って、そんな気分です。春です。でももっと有り得ない強烈な行為しでかします僕の清純な心もう立ち直れそうもないので最強の称号を欲しいままにするが良いです。というこの天国のような浮世離れした水面に浮かぶミステリアス小屋地帯では人間のあらゆる生理現象が嫌悪されるべき行為であるかのようにむきむきに邪悪剥き出しになってまるで人間やめなさいと脅迫されているかのようですそしていたたまれないほどの悲惨とデンジャラスを発生する人類の本能が痛々しくてすごい気持ち悪いの。顔も手も足も口も目も耳も削ぎ落として生きたらどんな感じでしょうかこの場所にやってくる人物の顔も手も足も口も目も耳もなにもかも僕には不快すぎるです。人間はなんでこんなに汚いんでしょうか水に沈んでしまえばいい人がこの世にはたくさんいるのですでも何でそんなよりによってそんな不潔な穴から覗いてるですかと問い詰めたい衝動にかられたけどそんなこと言ったら釣り針の刑でしょそれ嫌でしょ逃げたいでしょ。人体模型のように体半分骨身えぐられたまま泳ぐ魚が象徴するようにここにあるのは不器用な不具者の残酷な愛のかたちなのでしょうか。それはなんてうらやましくないんでしょうか。こんな魚おんなの呪詛から逃れられる術はないのでしょうかもしくはこの湖畔一帯がすべてはこの女の支配下でこの女は水と一体化したりおそろしい瞬間移動なので諦らめて受け入れるほかないのですか。なんて気持ち悪い光景でしょうかこれは不思議と退屈はしないけどその退屈を凌ぐのは気持ちよさでなく居心地の悪さが流れる時間に只生の残酷が浮かび上がるだけです重しを付けた死体と共に暗黒が浮かび上がるだけです90点

『カルメンという名の女』 (1983) ジャン=リュック・ゴダール

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見ててすんごく気持ちよくなった。浮遊感がただならなかった。夢遊病患者の見る夢のようだった。まるでズラウスキーの『私の夜はあなたの昼より美しい』のイメージを呼び覚ます連鎖の波がどんより鉄格子に打ち寄せて足下が浸食されて海中にひきずりこまれるかもしれないけど脳内で幽閉されてるのでもげた左足首だけが突き刺さった地面に取り残された感じだけど別にそれでもいいと思ったほどだ。実際にはカルメンという名の女が83年の作品なので『私の夜はあなたの昼より美しい』(89’)のほうがまるっきり後なんだけど俺があっちを先に見たからこれはゴダールのズラウスキーリスペクト作と決定することにするよ。思えばあのズラウスキーのすさまじく詩的な台詞もゴダールっぽいと言えなくもないけど決定的な違いはズラウスキーは圧倒的なテンションでそれが洪水のように繰り出されるから鬼かっこいい悪魔的な詩を生み出すのに対しゴダールはただうっすら意味不明に自分に囁くなだけにひたすらに脳挫傷でキモいって事だ。だからおもいきし嫌いだから海岸で思い詰めたんだまるで仮死状態のままに俺は白昼の火花が美しい銃撃戦を見つめ続けた私にあなたに恐ろしい波が来る94点

『ミスティック・リバー』 (2003) クリント・イーストウッド

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なんてフィストファックなんだ。しかも尿道を拡張されたほどの鬼のフィストファックだ。だいたいにして冒頭からして製作マルパソプロダクションなんてクレジット表記されたので俺はすさまじい戦慄にびびったね。イーストウッドはあれか?渡邊文樹と同系列なのかと。仲間かと。いやたぶん違うマルパソなんだろうけど日本とアメリカで奇遇ですねってそもそもマルパソって何語ですか。しかしこれほどの屈折したフィストファックが誕生してしまっていいのかというほどに強すぎるので僕はそんなマルパソに着目してる場合じゃないけどそんな轟音と劫火の物語をまえに徹底的に死灰は鎮圧されたんだ。
“君の立場になれば 君が正しい 僕の立場になれば 僕が正しい”とボブ・ディランは言ったけど、つまりはそういうことだ。正義という定義には如何ほども根拠はない。だからその世界を支配する者が正義を決定するんだ。曖昧な境界線上の正義感でもって罪を正確に裁くことなくすべては暗黙の了解でもって正義が主張され正義の名のもとに正義を遂行し正義に支配される町だ。響きだけ見ればなんて素晴らしい町だ。でも正義というのは一方の立場からしてみれば美しいかもしれないけどもう片方の立場からしてみればその根拠は美しくないということだ。劇中カーペンターの『ヴァンパイア最期の聖戦』が映る場面があるけど一方的に人類の正義の制裁によって大虐殺されるヴァンパイアの世界にもきっと正義があってその正義に則ったがためにきっと人類の脅威という形で出現してるだけに他ならないはずなんだ。その正義の玉虫色的な側面。ここでいう正義に異常を発見する反応こそが正常だとぼくらの立場は言う。この異常な屈折した正義を声高に主張しそれを正統派としていっさいの躊躇もなく正義だと信じて疑わないことを当然として平然と生きる術に長けた異常な世界を見つめることこそが僕の正義の根拠だ。重要なのは公園で発見される娘の殺人事件ではなくてまさに正義によって任務遂行された川に沈められたまま永久に浮かんでくることのない殺人だ。そしてその正義に異議を唱える者も現れずに沈黙し追従することがまさに正義を遵守するですとまったくもって正義感に燃え尽きててなんともおそろしげな空気だ。この重量感のある鎮魂歌的空気はこの正義という名のもとに行動されるすべての事象の異常さを告発するキャラが出現することなく辺り一面異常に覆い尽くされているという救いのなさが臨界点を突破してる絶望だ。まるでイラク戦争で唱えられる正義という言葉のようにそれは不気味な誓約書が公布されているんだ1000点

『八月の濡れた砂』 (1971) 藤田敏八

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だからこういう夕焼け不良番長が帰ってきたぞ的な夏真っ盛りなアナーキック青春エピソードはおれ超好きだって言ってるでしょ。いきなしサッカーボール学校の窓に蹴りこんでガラス粉々にストップモーションララバイ的な下校時間の触わるもの皆傷つけてた的な思春期の爆発そして心なごむ健康的な芳醇なエロスと豊満なタナトスがせめぎあって美女争奪戦がそこかしこ勃発でその結果欲望の反転は崖から投身自殺してて素敵なあの子はガリ勉の暴発に清き交際から裏切られて殉死。なんて素晴らしい健康的且つ爽やかに鬱積系な暗黒が描かれているんだまるで成熟した性的環境の醸すこの頽廃した刺激!もうこの胸の高鳴りがもしや周囲に響き渡っているのではないかしらとか思ったりだ。
つまり好き。なんかヨットの描写が太陽がいっぱいでしたが船舶免許は当然のごとく持ってないのに運転してました97点

『鬼火』 (1963) ルイ・マル

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自殺するまでの二日間の行動なんだけどっていう前情報を読んだ時点でほんとに自殺するとはおもわなかったよ。思い止まるのかとおもいきや死んだよ。ふつうに死んだよ。退屈で死んだよ。そら死ぬよ。だっておもしろくないんだもん。美男子なのに。でもそれでもいくら死ぬ間際とはいっても常に目線が女主体に行くのは間違ってないと思った。あれ絶対。だってなんかともかくいっぱい見たいから。いっぱいいっぱい更なる遭遇したいから。いっぱいいっぱい綺麗なお姉さんとお付き合いしたいから!よもや女子全員を見てまわる旅に出たいから。
ということでもうわかってると思うけどそんなにおもしろくなかったよ。歩くスピードが加速するとこは驚異的に好きだね。でももしかしたらその日常の退屈描写によって追いこまれていったとも言えなくもないからあれはあれで正しいんだけどほんとに貴族的な会話が只ならないほどつまらなくてそら死にますというかむしろ殺します。全員死刑のお気持ちで戦いを挑むくらいのがんばりがあれば自殺しなくてもよかったのにでも彼にとって人生で唯一の勇気ある行為が自殺だっただなんて糞ほどもおもしろくない結末にぼくは鼻ほじりすぎて反対側に貫通したからわりとスースーするよ。見てみる?71点

『地獄の謝肉祭』 (1980) アンソニー・M・ドーソン

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ベトナム帰りのうわさのあいつが人肉くいたくて仕方ないよっていう病気のはなし。なにせベトナム帰りなので肉弾戦すこぶる最強だしそのへんの市民には手に負えないという肉体の有り様。はっきしいって戦場の狼の元軍人と生ぬるい駐車違反取締りばっかの警察では実戦的な戦闘力がけた違いすぎてかわいそうになるくらいだ。都会はコンクリートジャングルとはいいますが本物のジャングルを生き抜いた彼らの生命力のたくましさは半端ねえわけです。そしてベトナム帰りが平安な市民生活に適応できずに悶々と欲求不満ボーイズ達として悶絶してたのが人肉ハントの狩猟目的のために統率され喜々として任務遂行に身を投じることにカタルシスを感じるその様が戦争の狂気をあらわす。でもって町の不良がなぜか警察よりも先回りして立ち向かってきますがそら木っ端みじんに殺されるよね。意思ある人肉食通って手ごわいよ。なによりおよそ戦場のサウンドとは一線をかくすコミカルなサウンドの冒頭からただ者ではないというかんじでしたよね。ついでにいうと効果音おかしいので注意が必要だ。
つーか思ったけど基本的にカニバリズムというかにんげんの歯で人間の肉体を噛み砕くっていうこと相当ありえないのじゃないかしらとかゾンビ関連の存在そのものを否定しかねない疑問が草原をかけぬけて僕も一緒にはしった!
しかもチャールズブコフスキーとかそのまますぎて凝ってるのか凝ってないのか不明だし人肉食ってじぶんの肉は食いたくならないのかね?いちばん手っとり早く肉にあり着ける最短ルートだと思うんですけどダメ?
ということであまり真剣にかんがえるとあれなんだけど好意的にみれば骨太な筋骨隆々反戦映画。それほどおもしろくねえけど70点

『父、帰る』 (2003) アンドレイ・ズビャギンツェフ

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かえってきた!父かえってきた!こわい!っていうお話。
でもおもいのほか子供の顔がかわいくない。
これはけっこう重要。馴染めねえんですもの。なんかいろいろ寓意はあるにせよそれはぼくら日本人には関係のないことですのでどうでもいいですけど映像が驚異的なまでに冷たくていいかんじです。落ちたりとかこわいよね。胃がヒュンヒュンするじゃん。飛び降りるときもあれってはやく僕気絶したいなっていうね最後まで意識あるとこわいっていうかそれって目玉に穴あけるとき目玉だから最後まで針みえて怖いっていうのと原理一緒じゃんそれって最悪ってことじゃん
しかし水の描写とかどうしてもタルコフスキー想起するしね。全体的に固くて強そうだったのでよかったとおもいます90点



『勝手にしやがれ』 (1959) ジャン=リュック・ゴダール

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あの気が利いた台詞というか単純にそれ駄洒落連発してるとしか思えないんですけど駄目?もしくはBボーイという解釈でいいですか。むしろ新翻訳の効果がいかほどですかよ。ナウくね?あとついでに通行人ものすご振り返りすぎ。こっち見すぎ。あからさまに熱心なカメラ目線だからなんかそんなの文明に初めて触れ合う未開拓な樹海なごときコイサンマン風通行人とかにばかし俺の視線が集中力を発揮して実際内容的にはこんなの勝手にしてくださいって感じではありましたよね。あとはそうねえこれといって特筆すべき感想もないけどともかく前みた時よりも更に加速度的につまんなかったから死ねばいいんじゃないかな6点

『気狂いピエロ』 (1965) ジャン=リュック・ゴダール

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うん順調に眠いよね。見るのに3日費やしたからね。でもけっこう引用とか人名とか予想以上にわかったりしたりしてる俺に愕然としたりで確実におれのあからさまなパワーアップが実証されましたよねこれもしや実力を測定する装置として定期的に見とけば俺のランクが計り知れるのじゃないかしらとか思ったりな出来事だ。でも最高につまんね。いっこうに画面記憶に残らないけどだからこそ何回も見れるかもしれないとか一瞬思ったけどやっぱこれ何回も見たら死ぬでしょ。どう考えてもそうでしょ。でもってあのサミュエル・フラーって本人なの?なんで出てんの。やっぱ死ねばいいんじゃないかな30点

『クロノス』 (1992) ギレルモ・デル・トロ

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いきるってなんだろう。でも死ぬのはなんてこわいことなんだろう。生きていたいと思うことなんて、そこにさしてたいした理由もないけれどかといってこれといった死にたい理由もないわけで、その結果として何気に生きているような気配もしているわけなのですが、でも実はそれだけで生きる理由としては充分であるような気さえするそんな風景にぼくは勇気をかんじてしまった。110点


『ワイルドバンチ』 (1969) サム・ペキンパー

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これは怒張した男根がどれだけ偉いかという真実に肉薄することに成功しているのである。そして男根とはおよそ、その男の顔の造型の発育具合にこそすべてのポテンシャルが物語られているといっても過言ではないのである。
ならばこの男達の顔面はどうだ。
いやむしろこの者達の顔面とは男根そのものなのである。まるで圧倒なヒストリーが刻み込まれた戦歴を伝える風格がぼくらをここぞとばかり震え上がらせはしないかね?そしてそのあまりにホルモン過多の男根の弾痕による男根のための銃撃戦のすばやい攻防の体臭の飛距離に戸惑う俺もまたいることをも男子たるもの再発見しなければいけない。それは男の子の義務だ。というかあまりにこれ素早すぎて一体何が起きているのかとかこいつは一体誰?とかといった主要登場人物の識別がいっこうになされない僕のほぼ脳死状態から直結する視界と男根による脳内判定リレーは見事に生存反応を示すのである。でも男子たるものそんな細かい人の識別とかの悩み相談では先生に逐一報告しねえ。密告とはおよそ乙女のすることだからだ!
だから終始全員の顔がみな同じにみえるとかっていう痴呆気味のイリュージョンというかでもそれは男の顔だちはすべて男根そのものであるとの先程の想定からも窺い知れるように実際には男根の見分け方法ほどそれこそまさに男子にとっては夏休みの宿題に匹敵する難解さといえる。それはやる気が出ないと言うモチベーションに根ざす深刻な問題であるからだ。だから敵と味方とを見極めることができないまま勝手に進行してもそれは人は顔で判別されるのではなく正確には男根によって人は判別され認識されるのであることにどれだけ早い段階で気づくことが出来るかが重要軍事機密として我らが秘密にすべき恥ずかしい実体でもあるのである。そうやはりこの者達の顔面とは男根そのものの表出なのである。そしてスローモーションとはつまり射精なのである83点

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