死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『盲獣』 (1969) 増村保造

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特殊なビジュアルがそびえたった倉庫内が変態な空間をつくりだしていましてそらもう僕好きだったね。巨体な造形物に包囲されてるしこんなところで生活したくないよね。しかもお母さんが頭を壁にぶつけて死ぬというわりと画期的な死に方でしたにもかかわらず特にそれが違和感を感じないほどに異様な空間を構築しておりました。ということで盲目の男が自分の触覚の崇高な手触りのみで作り上げた人体の彫刻の数々の頂点に君臨する集大成としての作品のモデルのために完成度のたかい肉体の女を標的に親子でいっしょにクロロホルムを駆使して誘拐したりと危険な親子愛で結束した任務をしでかしたりするよ最悪なタッグでこわいよそして女を自分の変態工房に拉致監禁して触手でまさぐって創作活動に打ち込むという芸術的で素敵な話を展開しはじめたよ。でなぜにそんな肉体を模した彫刻に執着してるかというとそれは全部おんなが解明して説明してくれますので僕が考えるまでもなくてとても親切です。でもって耳とか唇とか足とか乳房とか未だ見ぬその女体的なものを部屋いっぱいに飾りこみたいという中学生男子的な理想郷の視覚効果を触覚でのみ再現した肉塊がいっぱい壁から発生していて気持ち悪くてかっこいいよ。でも実はこれってその姿形よりもその素材がどれだけ肌の質感と弾力性を再現してるかというのほうが重要なような気もしないでもないよね。というか実際には触覚だけでは再現不可能だと予想される眼球の虹彩までをも彫刻してしまっているので実はこの造形物の異様さは母親の視覚を通しての共同作業であるがゆえではないかという疑惑つまりは母親主導で異常な物体に肉体が変貌してる可能性。だから彼の目でもあった母親が死によってその役目を終えたとき真の意味で彼は触覚の世界の模索をはじめるのです。そして実際の肉体を知らないゆえにアトリエに欠如していた部分がこのおんなによって完成されるわけですがそれよりも楽しい事をおぼえてしまいましてねえ100点
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『わが恋せし乙女』 (1946) 木下恵介

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うおおおお!ここはアルプスですかよ。山脈すぎる。なんて山脈すぎる。高地トレーニングすぎる。ぜったいこんな場所で生活してたら無意識のうちに強くなる。体ぼっこぼこに筋肉つく。こんなアルプス山脈な生活形態がここ日本で成立していいのですか。
そして官能的な仕草!おもわせぶりな態度!この小悪魔が!でも付き合ってください。だって付き合ってください。ということでお兄さんが妹に恋してしまっているよ。お兄さんが恋した乙女は妹だよ。でも妹とはいっても実はその辺から拾ってきた子だよ。おっきくなったら綺麗になったよ。だから好きになったよ。でも俺思うにこれほんとに血縁関係にあったうえでの禁断の恋の行方のほうがスリリングが期待できるよねというか俺常々疑問におもうことあるんですけどすごい美人がひとりいると仮定してなんでその美人はそれが血縁関係にあるという理由だけでまわりの人はその美人を好きにならないかという。血が繋がってるから好きにならないというのも不思議ですよねむしろ無条件に好きな気がするけどそれはあれか磁石のように同種の遺伝子は反発し合うような仕組なのかね。たしかに理性の抑止力があるとはいえ。だいたい無関係の人同士が好きってそれもまたおかしな話ですよね。それって結局それ以外に組み合わせが考えられないというわけではなくて大概組み替え可能な汎用性があるってことだよね考えてみればよしこれは夢がひろがるね。ということでなんの話だっけ。うんだからそんな美人が近場にいたらおれなんか絶対恋する自信あるのに。美人に恋しないだなんてそんな男の子にあるまじき行為は男兄弟しかいない僕にはわからない感情です。もうだれか正直に言って欲しいものですきれいなお姉さんは好きですかとの問いに好きですと言えばいい。というか義姉と俺、或いはおれと義妹とかいうシチュエーションがいまだに俺の生活に降りかからないかと期待してたりするんですけど実際に義姉との共同生活がお年頃の年代に突如として始まっていたらどうしよう俺。まじで。93点

『死体と遊ぶな子供たち』 (1972) ベンジャミン・クラーク

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つうかこんなすげえ傑作だなんてはじめて聞いたけど?言ったっけ?
言ってないし歯茎とがってるし刺さると意外と痛いけど?
というか最高なムードをかもしだしてやまないかんじが徹底されているんだけど指は6本もいらないけどいる人がいたらあげるけどとにかく最高なんだけど
なにがってとりあえずゾンビの動きがすごい立派だ。こんな立派な堂々たる動きは初めてだ。動きだけでほぼ恐怖を表現してる舞踏。なんていうコスモを引き連れた動きをわりと全員が共有しそしてそれを可能としていることが優秀だ。そしてほとんど会話でロールしていく展開にこれはすげえって一瞬9000点とか史上最強得点とかおもったけど今冷静になったうえで改めて考えると6000点くらいなのではいでました7000点

『ギプス』 (2001) 塩田明彦

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わからないのは殺人現場に直面した時は執拗に指紋を拭き取るほどに注意ぶかかったにもかかわらず自ら脅迫文を作成する時にはいささかもそ指紋という物的証拠の呪縛から解放されているのでありそんな犯行予告めいた確かなものを残すことについて思慮深さが一時的にでも欠けてしまうことは考えづらくそれはつまりまさに犯行を誇示する姿勢そのものであると言える。でもなんでそんなことであるのかははっきりいってもう忘れたのでめんどくさい75点


『ジョゼと虎と魚たち』 (2003) 犬童一心

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なにひとつ生きた人間らしい行為をせずしたがってどんな記憶も体験もなしに死んでしまう人生とは恐ろしいことであるよね。たとえばこの娘が陥っていた状況、乳母車に乗ったまま世間と隔絶して死ぬというのは実にこわいことだと思うんだよね。それはつまり例えば死後の世界があるとしてその死後の世界がなにを基準に構成されるか考えてみた時にたぶんそこに人の生きたなんらかの証が介在してはじめて死「後」という領域への侵入と認識されるわけでなにをもって人の死の「その後」が在るかというとそれは人の生きた体験と記憶に因るところが大きく占めるに違いないんだよね。そうでなければ果てしない無だけが永続するのかもしれないんだけどそれはすごい夢が無いから却下だよね。だから外界に触れずにましてや触れる機会が悲惨に絶たれたまま死ぬ運命にあるあらかじめ記憶と体験から物的に隔離された存在である障害者は悲惨だよ。圧倒的に健常者と差あるよ。差がないわけないじゃん。何より自分がそうした世界に飛び出すことができないどうしようもない予め初期設定の段階で自由度の限界を制約された状況と可動範囲を理解している正常な脳意識の働く身体的な不自由な人生はより悲惨だよ。状況を把握しているぶんだけより悲惨だよ。だから死んだ人間の霊は生きた最後の瞬間の状態で思い出とともに永遠に存在すると仮定するとなにも世界を知らないまま部屋に拉致監禁中に死亡した人間の霊は死後の世界でどんな思い出をもって永遠に存在するんだろうとかそんな果てしなくおそろしい思考の波動に襲撃されてしまうよね。それってもしやなにも記憶の集積のない幼児ほど死後の世界は無に近いんじゃないかってこと。死の直前、走馬灯のように記憶が甦ると言うけれどその甦る記憶のページすら持っていない人間はなにを見るんだ。だからおれはなにも知らないまま死ぬのはいやだからどうせならいっぱい映画見てから死ぬっていってるよ。だとしたら自分の不自由な状況の限界に気づいてしまっている障害者当人にしたらもう自分は死んだ人間のように新しい思い出は作るまいとしてこの現実の時間を積極的に生きなくなるのは必然の帰結。もはや押し入れで空想するしかないんだ。しかもその空想には物質的な情報量が足りない。「足りない」と書いて足が不自由とはなにやら示唆的だ。足が不具合なのは拘束された者の印象がある。極めて無力な慮囚だ。でも書を捨て町に出よう結果はわかっているそれでも書を捨て町に出よう。3100点

『トラベラー』 (1974) アッバス・キアロスタミ

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すごい仕打ちだよね子供ながらに再起不能な仕打ちだよね。俺なら完璧やる気なくすね。不良なるね。というかけっこう自分を追いつめてるよね。すごい自分を追い込んでるよね。もっと安全な生き方したいよね。でも子供ってほんと理解不能などうしようもない行動しでかすよね。これほど暴走と悪徳の果ての情熱の行動の結果が全然報われないというのもそれもまた人生というけど非道ですよね。だからこそ報われないともいえる行動なわけだけど大体この国の大人も非道だけどそもそも子供の時点で既にその非道は完成されているので上野で偽造テレカを売ってます的な極道になります。というかテレカ自体の存在意義を問われかねない文明の世の中なので今もそんなイラン人がいるのはわかんないけどとりあえずイラン人は東京に極道トラベラーするというのが僕のイラン人像です未だに。なのでともかくこの子供の行く末が心配で眠れない夜を数えています。だって帰ってからの逆襲がこわいのですけどかといって所持金がもののみごとに大人に搾取されて使い果たしているのでもう帰れないかもですな。というかこの子に不幸が舞い降りる連鎖反応にはある種ほとばしる才能さえ感じられるくらい2秒おきに不幸チャンス到来です。直前で売り切れっておもむろに不幸。しかも大事なところで居眠りって笑えないYO。しかもイラン人顔全員おなじ62点

『KEN PARK』 (2002) ラリー・クラーク

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なんて迫力が出ないキッズたちだろう。というかなにもかもが迫力を欠いているのでなんて見るに耐えれる迫力のポルノグラフィカルだろう。どっちにしろ迫力がないのはスケーターには筋肉がないからだ。だから人間としても迫力が出ない。ましてや説得力など生まれるはずもない。対して息子に筋肉つけないと男としての迫力がでないとお説教する親父の迫力。あれこそまさに生きている存在感が半端ない。肉体の直接的な結合が精確にはいくらかもその迫力に貢献してないのに比べるとベンチプレスで250kgをあげる暴力的な肉体がうごくときの迫力。あんなにまでも排尿行為の無防備なすがたでさえバイオレンスそのもの。ましてやおもわず息子のツルツルした体をなでまわして勢いあまっておもわず息子のペニスを鷲掴みしてしまう初期衝動のあまりのピュアなつぶらな瞳の暴力的!息子が起きてしまっても「だいじょうだ、おとうさんだ」の意味不明な説得力!あんな偉い父親は日本にはいない。なぜなら彼は筋肉の真の意味を理解しているからだ。スケーターなひょろいキッズたちは一生えらくはなれないだろう。なぜなら筋肉が偉いということに無自覚だからだ70点

『ドッペルゲンガー』 (2002) 黒沢清

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これはもう一人の自分と自分が出会ってしまうのでびっくりするというお話のようですがしかしそのもう一人の別個体の自分とはあきらかに別人格のようであって実際の、というと語弊があるのですが利便上そう定義づけるとして実際の自分にはないものを補填した形として出現する、もっと正確にいえば自分の理想型を(人格の部分に於いてのみ変貌したかたちとして)実現したものとして出現するのです。そしてそのじぶんの理想とする、現実的なものの一切の縛りをものともしないような社会のルールやら理性に囚われないで生きる自由さを獲得してるもうひとりのじぶんを目の当たりにしてお互いが対峙したとき実際の自分がそのもひとりの自分をまえに敗北を喫するのは当然のことだといえます。すこし不良性をかもしだすくらいのアウトローの危険に女の子はよわいはずだからです。だからあの弟が自殺を選択するのもしごく当然の帰結です。だってしたいとはおもっていてもできないのが人間の生きている世界なのですから。できる自分をまえにできない自分は存在価値を失います。なのでこのドッペルゲンガー現象ってすげえいいじゃねえかとか思う奴はくそです。だってあくまで変貌を遂げるのは内面であって外面はいっさいかわらないという切なさ。というか外面かわってしまったらもうひとりの自分と遭遇してびっくりの前提が崩れるから。なのではっきりいってすごいこの機械発明の男はもうひとりの分身がモテてますがそれは既にモテている資質をもっているから攻勢にでたところでモテの実績を積み重ねるのみのすばらしい現象として捉えられてるだけではっきりいってこんなんはすげえいい例だ。
というか悩む理由がわからない。すげえいいことだらけだからだ。なぜなら既に勝ち組の才能あふれていた男の話だからだ。たんに挫折をかんじている期間を救う救世主的な役割を担っているからだドッペルゲンガーが。
それがどうだ。
すでに負け組が確定してしまっているような外面の持ち主が更に好き放題なものとして具現化した内面が表出してしまったなんていったらそれははっきりいって最悪だ。やさしいところしか取り柄が無い人物がその優しささえ捨て去ってしまったらいいところがないじゃない!というか優しさしか取り柄がないと自覚してしている人物はだれでもできるやさしさというところに着眼しやさしいじぶんを世間に定着させていくしか人として認められないからではないのかね。でも外面が優秀な人物はあえてやさしいという内面までをもポイントとする必要性に駆られないのであってやさしいと評されるひともできればそのやさしいというところでのみ必死な努力はしたくはないわけでつまりやさしさしか取り柄がなかった男がやさしさを持て余してしまったらなんて、なんてひどい。というか得てして外面がひどいものは歴史的に冷遇される憂き目を体験するがゆえに全面的に内面も屈折してひどい有り様というがじっさいのところなのでそれはもう実にひどいことだ。でも外面がモテキャラなのにもう一押しが足りないとかの人物には最適な現象だけどしかしそんなことはぼくらは必死に阻止せねばなるまい。なぜならますます僕らがもてなくなる予感に絶望をかんじてしまう恐怖だからだ。これはやはりホラーな話だ。というか何もしてなくてもモテてる奴らが更にトークに磨きをかけてきたらなんて世紀末だ。みんな死ねばいい。
ということでしかしそれは男子像にズームインした場合を想定した物語について言及しているに過ぎないのであって実はもっと素晴らしい予感にもみちているのでこれははっきりいってホラーとみせかけて実は積極的に希望とよべるものの予感がぼくを夢中にさせていて仕方ないからうんこは食べてしまうしかない。というのも、好きなあの子がもう一人出現してしまったら、しかも理性的でない自由奔放なミニスカートとして出現してしまったら僕はどうしよう。1410点

『ブレイド2』 (2002) ギレルモ・デル・トロ

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え?菌体の宿主を倒したらウイルスが自動的に死滅するとかなんとかって言ってなかった?あれ
だとしたらあの子ふつうに太陽見に行かなきゃ助かったんじゃなかろうかとか回避可能だった感動的な場面の疑問はまずいいとしてブレイドは人間と吸血鬼の混血なのですがそれはつまりはこの映画がかっこいいとかっこわるいという価値観の新たな境界線の提唱をもしてるわけであって実はこのブレイドはすごくかっこわるい顔なんですけど動きがかっこいいのでサングラスもかっこいいと錯覚しがちなのです。意外と目がかわいらしいのでかっこよくはないんです。でもなぜかかっこいいという前提のもとに話が進行していくので女吸血鬼がなぜにロマンスを感じるのか疑問に感じてはいけないことになっています。というそんな価値の混血状態その黒ビカリの褐色の肉体から察しがつくようにブレイドは吸血鬼の最大弱点である日光を克服してしまっているのでいわば吸血鬼の破壊力を秘めた人類最強の黒人と言えます。その黒さといったらよもや理科の時間の実験のように紫外線を虫眼鏡で一点に集中させて発火するおそろしい現象を想起させるくらい黒々で途中で勝手に人体発火するのじゃないかしらって話。それどころかむしろ紫外線を撥ね返すくらいの勢いが感じられるほど筋肉が黒びかってしまっているのでたまらない強さに違いないですということが誰の目にもあきらかなビジュアルです。だからこれほどピンチ的なものと無縁な驚異的な強さにもすぐさま納得がいく仕組みです。ということはすなわち勝利の行方よりもその敵の倒し方の行方に視線が投げかけられるのはごく当然のことです。しかもすごいのは設定上無敵な男として存在する以上その戦いには死と隔離された弛緩が付きまといがちというヒーロー的なものにおける命題をどうやって克服しているかというとそれはブレイド側に弱すぎる仲間ができてしまうことです。強い男には基本的に仲間なんていらないのに仲間ができてしまうばかりにピンチですほんとにいらないですあの人達。つまりは強い男にできる仲間の役割というのは足手まといでピンチを招いて盛り上げる機能というのは常識です。でも理由はそれだけではなくてつまりはブレイドはあいかわらず無敵だとしてもその他の仲間があまりに弱すぎるので(ブレイド単独では起こり得ない)死の予感が漲っていてもういつ殺されるかドキドキなわけでそのおかげでブレイドがかっこよく敵を殺す場面に加えて仲間がかっこよく惨殺される場面という通常の二倍のお楽しみを約束することとなります。でもだからといってブレイドは爆発的な動きであきらかに強いのでむしろ弱る場面とかいらないです。なぜって弱るわけがないからです。あの最後の方のピンチってすごいいらないよねブレイドはピンチになるわけがないから実際。ということで死神族のからだ解剖したら意外にアナルめいていてヒクヒクの動きするのがすごい好ましかったんだけどしかしなんて頭の悪い作戦なんだ138点

2004年度のおれがきみの映画の顔面とたたかった季節

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金賞
『死体と遊ぶな子供たち』 ベンジャミン・クラーク


偉い人のいうことはおとうさんよりも偉い

銀賞
『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』

アベル・フェラーラ


アナルと直腸を掻き乱したアイアンクロス

銅賞
『ファニーとアレクサンデル』 イングマール・ベルイマン


分身の裏側の遺体が激しいうごきする



●4位
『無常』 実相寺昭雄

おねえさんがぼくをなにする


●5位
『霧の中の風景』 テオ・アンゲロプロス


きみといつまでも

◎次点
『新ゾンビ』 オラフ・イッテンバッハ

死肉の祭りヒップホップ曼荼羅


今回はなぜか劇場でみた作品が多数強豪輩出しながらもそれでもビデオでみた気持ちいいのに適わないというそれはとても悲しい大陸です。でもじつは劇場でみたのはどれもつよかったように思います特に『ミスティックリバー』『ドッグヴィル』『ジョゼと虎と魚たち』『マッハ!!!!!!!』『アイ、ロボット』『オールド・ボーイ』 なんてむしろ俺すげえ好きな肉片達なのにそれ以上に頭がレイプされてしまった円盤のうえのスピードがはやくて目がたとえ潰れるなんて!
ということで恒例の各賞発表だよ実際みんな死ねばいいと思う

●最強撮影賞
(『十六歳の戦争』、『ドグラ・マグラ』、『薔薇の葬列』) 松本俊夫
おまえの毛髪採集すべて逮捕

●最強脚本賞
『ファニーとアレクサンデル』 イングマール・ベルイマン 
なんて時空は怨みの校庭がひろくて長い

●最強青春賞
『シティ・オブ・ゴッド』 フェルナンド・メイレレス
死体と汗とメガネの化学反応

●最強音楽賞
『オールド・ボーイ』 パク・チャヌク
首筋がまるで気絶する歯茎

●妄想賞
『狂気の愛』 アンジェイ・ズラウスキー
意味が性器を構成する

●魔界賞
『デモンズ’95』 ミケーレ・ソアビ
呼吸さえもが落下するとき君は頭だけで生きている


●最強アニメ賞
『ほしのこえ』 新海誠
いやらしいよ年の差なんて

●最強監督賞
アベル・フェラーラ(『バッド・ルーテナント』、『ボディ・スナッチャーズ』、『アディクション』)

なんかいっぱい血管浮きでた

◎強力監督賞
ギレルモ・デル・トロ(『ブレイド2』、『クロノス』)
そんなに背中にしがみつくと砕ける

●最強男優賞
ハーヴェイ・カイテル(『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』)
悪徳の肉体は強硬派

●最強女優賞
渡邉督子(『讃歌』)
白塗り鉄仮面劇場

●ふしぎ発見賞
『新ゾンビ』 オラフ・イッテンバッハ
ドイツの鬼畜は国家規模

●究極ドキュメント大賞
『アメリカン・ナイトメア』 アダム・サイモン
脳髄にサイバーなうんこ食べる

●消し去りたいパンツ
『フェノミナ』にでてきたグロ餓鬼
あいつだけはまじで許されないスピードで襲ってきてぼくをこわがらせたので本気で死んで欲しい

ということで2004年はすごい呪われてました。さようなら

『スパイダーマン2』 (2004) サム・ライミ

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この女1に引き続き勘違いぶりが甚だしくてたまんねえよ!じゅるり!おっぱいでかいからといって偉いとはかぎらないのに。いや偉いけど。でもメガネが好みそうな不良っぽさが都会に洗練されててビッチっぽさが足りない気がしてそこ不満。1のときはそれはもうアバズレビッチぶりが史上最強の憧れの的ととして君臨してたからね。それが舞台女優としてブサイクサクセスしてしまうという理不尽さが必要以上に遠い存在としなってしまうことで不良性が失われつつあるのが不満だけどそれ以外はこれほぼ最高に完成度のたかい映画。なにせ婚約してたのにスパイダーマンの正体というネームバリューにすぐ飛びつくビッチさが健在で一安心ですけども。しかしなんてあんな人間的な脆さと対峙せねばたたかいの意味を理解することができないのかというとヒーローが戦うべき敵は基本的には人間の犯罪でありその犯罪を撲滅すべきうごく警察のサイレンに反応しその援護射撃といった側面がより対人間兵器的なヒーローというかあくまで超人ではない人間同士のたたかいましてや元人間の敵もあんなにも人間そのものに蝕手がくっついただけの突然変異のおぞましい科学。スパイダーマンも手から糸出る以外はこれといった武器もなく能力をフル稼働してるにすぎない限りなく人間に近しい存在のたたかい方に限定される存在であり敵も人間の肉体に加味されえたタコ足のみが非人間的ないわば超人さを醸してるだけであってあくまで基本は人間でしかないというおぞましい肉体のカオス。このあまりに人間的な戦う意味に人間的な虚栄心と葛藤が含まれる者同士には苦悩が付きまとうのであり人間の存在を投げ打ってまでまもらなければいけないものそれは人間のことであるだろう。だからそんな彼らを応援する人間の友情努力勝利が網羅されておるわけであくまでスパイダーマンとは人間なのであり人間がスパイダーマンであるにはそれはスパイダーマンでありたいと願う意思そのものが重要なのであり(事実、ピーターが責任から逃れようとするときそのスパイダーマンとしての能力も弱体化する)その宿命を背負おうとするのは人間であり世界救済のために生きるかどうかは本人の意思に全権は委ねられ重要なのはそれは決して強制されるべき義務ではないということである。ピーターはいつでもスパイダーマンとして生きることを辞めれるのでありそのヒーローとしての生き様をやめることを誰が責めることなどできようか。でもモテるためには人間は必死にならなければいけまい。人間以上の能力を獲得した証拠としての視力回復現象があるがしかしあれはなにより超人的なパワーの象徴としてよりもモテの象徴と捉えたほうが容易い。151点

『スパイダーマン』 (2002) サム・ライミ

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なんであんな殊更に胸元を強調した半径5m以内で恋の相関図を展開するフットワーク軽過ぎなあばずれなおっぱいの巨大さがアピールポインツだと自分でわかったうえで更に強調して止まないこの思い!といったいやらしい計算をすることで潜在能力以上にかわいく見せてしまっていることが結果として自分は女優になるべきかもといった勘違いを自然発生してしまっているわけで若いころはそれで通用していたものが徐々に通用しなくなった時に非常に体を張った生き方をせざるを得ない、それはそれまでのレベルを保とうとするならば、といった条件付きのうえでのハイレベルな生き方が約束されるであろう、といった結構わりと都会の日常的な風景を実現してしまっているこのある意味で現代的なモテ構造を持った軽くブサイク気味な女の子はモテない男子の変身サクセスな物語のヒロインとしての描き方としては実に正しい。
でもだってそれはメガネな彼の下半身ガードの徹底ぶりときたらまるで貞操観念は昭和初期といった風情の純情真面眼鏡っ子っぷりなのにもかかわらず自分とは正反対な不良な男子が大好きとかいった教室内の(女子内)好感度の下がること間違いなしの同年代よりも幾分すすんだ行為を想起させるこんな尻軽娘っこ(事実、女友達は存在しないかのような孤独っぷりで女よりも男を選んで顰蹙を買うタイプ)が好きなのかしらってそんな疑問を持つとはさてはてめえはモテるな?帰れ。
いままで一度でもモテ期を通過したことのある人生の勝ち組にはこのヒロインの不細工加減の大抜擢がわかんないだろうねえ。きみは不潔ねえ。殺すよ?そんなぼくとはお友達になれませんねえ。
大体にしてモテない男子とは妄想膨らむ青春時代に於いての理想の女の子像は汚れ無き美少女と勝手に思い込みながらも一方で現実にはああいうふしだらな不良なビッチに憧れを抱くという二つの恋心の二律背反に悩んで悶々とするものさ。種類がちがうだけで二つとも恋にちがいないのさ。ビッチにいじめてほしいものさ。イケナイこと教えてもらいたいものさ。なので純潔な非モテな男子たる者すこしばかり悪い香りに憧れるというのが世の常であるわけで悪いヤンキーな女子からいじめられてあれこれと弄られたばかりに憎悪が芽生えるどころか何故か恋心が芽生える、なんていう困った青春の1ページは増刷決定なごとき勢いとして放課後の帰り道はおもわずスキップしてしまうものさ100点

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