死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『ヴェラ・ドレイク』 (2004) マイク・リー

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ああそうですかっていうお話でしたけどなんかもしかしたらものすごい傑作だったような気がしてきた年頃なんです
なんかあのひきこもりくすな娘とおなじく鉄化メンの婚約のお話がとても感動的でぎんぎんにぼっきしてしまったぼくは相当に繊細な心をもてあそんだ年頃でしたしもうなんか今にして思えばこれはすごかった気がしてきて今はすごかったということにしてもいいですかと改めて提案をしていきたい年頃でもあるわけなんです
でも実際はぼく相当ねむかったのでそういうあとからの高評価はなかったことにしたいというそんな優柔不断なお兄系な男前に憧れを抱く年頃でもあるわけなんです
でも実際堕胎手術がいいとかわるいとかいわれてもぼくら日本人にはあまりに空想なお話に聞こえるようなそんな反抗期な改造バイクな年頃ですのでそんなこといわれてもああそうですかみたいな、というかキリスト教圏内での中絶に対するバッシングな宗教観からすればこれは重要な議題となりえるのでしょうがぼくら読者モデルなお年頃にしたらばああそうなんだふーんどうでもよくね?みたいな、とても渋谷系な答えしか返ってこないのでいくらぼくがぼく自身の真剣な眼差しな心に問いかけてみても、やっぱ、どうでもよくね?みたいなほぼゼロ回答に等しい文章しか返ってこないみたいな政治に無関心なお年頃でもあるわけですししかしあの家族はダサかっこいいな!みたいなおしゃれに敏感なキメキメな年頃でもあるわけなんです
そういう登場人物のビジュアルでの説得力といったら気まずい位にかっこよかったし今日がぼくの最高のクリスマスだなんてあまりに悲しくてそしてそれはきっと本当のことだから実にすばらしい登場シーンだ、とかそういう気まずいところが大好きなお話をしていきたい、そんな学生服がまぶしい股下80cm未満のお年頃なんです65点
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『ドン・ファン』 (1970) ヤン・シュヴァンクマイエル

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とりあえずなんかおっきくてこわかった
ということでヤン・シュヴァンクマイエル大会はおわったのでした
おわり
20点

『レオナルドの日記』 (1972) ヤン・シュヴァンクマイエル

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これはつまんね
このころからぼくねむくなりました
5点

『アッシャー家の崩壊』 (1980) ヤン・シュヴァンクマイエル

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おおおおこれはエドガーアランポーの原作はおれ小学校の図書館にあったから読んだことあります
なんていう潜るのがもの憂い寂寞とした憂鬱と想像力な世界でしょうか
アッシャー家に纏わるこの解きがたい神秘の力を分析することは我々の知力ではとても敵わないだろう。重量感とこの景色の個々の事物のこの画面に配置されたあらゆるもののその配置をただ変えるだけで沈鬱な印象を人に与えるというのは一体これは黒々とした無気味な沼の険しい戦闘力と戦闘竜と1,000頭の険しい灰色の菅草と朦朧とする樹幹や虚ろな口のような無数の窓などが水面に映っている倒影を見下ろしてもやはりそれはおそろしい息苦しい奇怪があるだろう
椅子や扉や瓦礫や机はそれがあたりまえの平凡な物の形をしているにもかかわらず自分の心に煽りたてる空想のあまりの不気味には悲しみの空気を呼吸しているのを感じずにはおれないしその灰色と黒い疾患の癌細胞のように増殖を繰り返し領土を拡大し続ける壁の斑点と黒い塔とそれらのものが見下ろしているゴス黒い粘土質のドロ沼との形象が男の精神に齎す効果を予想するは容易だろう
男の空想はすべての無機物が知覚力を有するということにまで発展するがそれは彼の先祖代々の家の灰色の石と関連しているという。彼の想像によると知覚力の諸条件はつまりはこれらの石の配置の方法のなかに、いや石そのものの配列のなかに備わっているわけでそれを証明するのは他でもないとりわけこの配列が長いあいだ継続されてきていてその結果としてそれが沼の水面に歪な影を落しているということのなかに備わっているのであるといえる。その無機物なイニシエーションなシチュエーションに知覚力があることの証拠とは不気味に変容し朽ち果てる壁や身投げするように窓から飛び降りる椅子などで表現されるのである。なんていう圧倒的な光線でしょうかぼくは大変ご満足致しました589点

『エトセトラ』 (1966) ヤン・シュヴァンクマイエル

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フロッタージュやステンシルの技法を使ったというのが見どころらしいんですけどフロッタージュとかステンシルっていうのが僕なにがフロッタージュかステンシルなのかわからないのでどこがフロッタージュでステンシルなのかはわからなかったですけど終始不思議なかんじでしたのでこれがフロッタージュとステンシルかなあっておもいながら見てたのでまるでフロッタージュでステンシルでよかったかとおもいます。
そしてこれはファミコンみたいな音を潰して圧縮したみたいなブリブリした不穏な機械音が神経に呼びかけてきてとても不安感を駆りたてていて実に不気味でよかったとおもいます。そして「翼」「鞭」「家」の3つのエピソードで構成されているのですがそれぞれある一定の行動が始まりも終わりもなくずっと繰り返されていてなんかいつのまにか何回も繰り返しているという事態に一瞬わけがわからなくなってたのしいです。何回もおなじことを言うひともそうですが何回も同じ行為を繰り返していることは基本的にこわいですしその何回も繰り返していることに本人が気づいているかどうかもまたこわいことでもあります。なかでも「鞭」の人間が動物に鞭をふるっているのが鞭がピシピシいうたびに人間が動物に、そして動物が人間に変わっていき、立場が逆転して同じことが繰り返されるのがなんか頭おかしくなる。なんかいつのまにか同じことが繰り返されていてそれの出発点の境目がわからなくなるというのがじつにこわい事だと思います。ましてや終わりなどわからないのですしやはりそのことに当の本人にもわからないというならば本人にはなりたくないなあという感想でした79点

『コストニツェ』 (1970) ヤン・シュヴァンクマイエル

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なんか納骨堂みたいなところの観光案内ビデオみたいなかんじなんだけどなにこれめくるめくってるー
こんなにめくるめくなんてそんなにがんばっためくれ方があったなんて知らなかったよ
俺にもめくり方おしえてくれよそしてめぐりあい方も
ついでにおれの皮膚も勢いでめくれてしまってその中身に骨があるのが世間に知られてしまうほどめくれあがってしまっているしそんなめくるめくスペクタルな場所があるなんて今までおれに秘密だったかい
俺おもうにたぶん骨みられるのってはずかしいよ
なんでも中身をみられるのははずかしいさ
剥き出しってはずかしい
そんな恥ずかしい物体がそこかしこに!
興奮しないわけがない
なんかこれ戦争とかペストで死んだ7万人分くらいの骨が埋葬されているらしいんですけどその膨大な量の人骨を使って礼拝堂内部に狂ったように装飾を施したりシャンデリアとか祭壇とか十字架とかなんかものすごいおびただしいのがめくるめくってはりめぐらされております。
すべてがパーツとしての人骨で構築された巨大要塞内部の7万体は、やはり人骨で組み立てられた我々が見ることによってその人骨が人体ではないべつの形として縫合され掲示されてそしてその存在を成しているのをみるにつれ骨がそれが人間の形を成していないにもかかわらず文字通り、骨組み、骨格としての機能を有していることに気づくだろう。そしてその行為とは自分の眼球で自分の眼球をみている自分のすがたを眼球自身となってみているようなそんな白日夢みたいな遺産相続問題の未亡人の気分です
やばい。基本的にやばい。そんな狂ったかっこいい場所をカシャカシャ性急に画面が変わりながらぼくはご案内されていきます。このめくるめくった案内係にめぐりあいたい
超いきたい。これおれ絶対いきたい場所みつかった
だれかにインタビューされたらおれ答えるねコストニツェいきたいと360点

『棺の家』 (1966) ヤン・シュヴァンクマイエル

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ヤン・シュヴァンクマイエル大会の二日目。
観客がぼくを含めて二人という過酷な状況下に
ぼくもう泣きそう!
おうち
かえりたい!
とかおもっているうちにはじまりましたよ。なんかこれは木槌でぼこぼこ殴りあうのがそれは指人形なのですから平気ですとかいう理由で許される特権でもって人体毀損趣味を実現しようとしてる点がとても好感度
たぶんバラバラに人体飛び散るの好きだし表面の内側、或いは裏側つまり内臓感に果てしない興味を持っているとしか思えない素敵趣味を一連の作品系譜から見受けられますこれは10分間の時間に込められた輪廻転生と因果応報の圧縮だろうか75点

『ジャバウォッキー』 (1973) ヤン・シュヴァンクマイエル

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これはこれはこれはああああああああ
きもちわるい!
そして
素敵!
ジャバウォッキーはルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」でアリスが読む詩「ジャバウォックの歌」の中に出てくるドラゴンのこと。冒頭でこの詩が朗読されるのですが対訳が狂っていてすばらしいのですが
なかなか子供部屋の中がエキセントリクなうごきがそこかしこで立ち止っていてなんかしかも人形の中から小さな人形が生えてきてもぞもぞしはじめたりなのにそれよりも巨大な陶器の少女アマゾネス人形軍団がその小さな人形を丁寧に煮込んでお料理したりと食卓に並べる絶景の最中ちいさな人間の人形をおおきな人間の人形が無表情でもりもり食べる人肉天麩羅のかもす無邪気な残酷と猟奇性が不気味ではりきっていたよぼくもはりきりました日本ではharakiri,geisya,tempuraが有名ですほんとうです92点

『オトラントの城』 (1973-79) ヤン・シュヴァンクマイエル

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さすがにこのころはぼくねむくなってまいりましたいい加減
つまらない
でも西洋の甲冑はかっこいいからおれすきだとおもったよでもそういいつつ日本の鎧とかもなんかガチガチしててかっちりしてるので好きなんだが西洋のほうがなんか尖ってたりしてて攻撃的だしたぶんでも兜よりもあの先っぽ尖ったマスクとか騎士のやつは目線がわからないから覆面的でありかっこよい
けど話的にはくそつまらないのでねむいねってなった。このラストは検閲でカットされてたらしいけどどうでもいいな。実写部分がともかくおれもとめていないことに気づいた25点

『庭園』 (1968年) ヤン・シュヴァンクマイエル

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まあ社会主義体制批判とかくだらないこといってんだろうけどつまらない
そんなつまらないそういうのこそアニメな位相で活写すべきなのに
でも手を繋いだ人間が生垣化する設定には生身の人間が実演する以上の選択はなかっただろうけど生身すぎるもっと無機質に平板化させるべきではいかな13点

『家での静かな一週間』 (1969) ヤン・シュヴァンクマイエル

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これもなかなか悪夢的がよい反復するつくりは次の穴がたのしみでぺーじをめくるとき舌がうろちょろするのきもちわるくて好きだとおもいました穴を見つめた瞬間は焦点があわずにぼんやりとしてたものが徐々に幾つものレイヤーが重なりあいそれはつまり目の標的が現実的になるにつれ悪夢がはじまりそして家具の狂想がはじまる
現実は色がなく穴の中にだけ色がのた打ち回る様が美しいと言わざるを得まい
70点

『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』 (1964) ヤン・シュヴァンクマイエル

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デビュー作。これは普通におもしろいよねでもおれ映画でいちばんやって無駄なことっって手品だとおもってたんですけどつまりそれは趣味のいい悪趣味と不思議感によっていくらでもみせられる
あたまのなかが機械仕掛けでミリミリ工作するとことひきちぎっちゃって粉砕するねじ式の金属質がどうしようもない中身なのが無限なひろさを眩暈できて殊更きもちよいのでやっとおれが引き込まれた瞬間でもある。ひとりで楽隊編成するのがボブログ3世みたいな68点

『J.S.バッハ-G線上の幻想』 (1965年) ヤン・シュヴァンクマイエル

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シュヴァンクマイエルの国家検閲によって改変されたところを復元したものを上映する大会にいってきましたよ
んでこれ廃屋のなかをいっぱい移動してたけどただそれだけなのでひどく退屈でなんかほかのことかんがえてたけど最初からこれはいかんっておもって持ち直そうとしたけどなんかそうおもえばおもうほどなんかほかの事かんがえてた
5点


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