死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『華氏911』 (2004) マイケル・ムーア

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戦争がイクないことなんてみんな知ってるよアメリカ人以外。つーかこれ普通にアメリカ人以外のひとみんな知ってることばっかだよね劇中指摘されているようにこれらはおそらくアメリカ国内ではメディア規制されていて封印されて見れない映像と情報てんこもりおでアメリカンには最高に貴重なうれしい映像集なわけなんだろうけど一切のそういった作為的な陰謀の規制から縛られてない自由な日本ではそんなあの一連の911に纏わる事柄に興味をもって見続けていた人にとってはこの程度のことなんて知ってることばかりだったからけっこう途中とか長すぎて眠かったんだけど。
だいたいそんな作戦で騙されてるアメリカ人があほだ。批判があるようにたしかにボウリングフォーコロンバイン同様これにはマイケルムーアが意図的に抽出した映像を繋げてる以上そこに真実(偽りない無加工の映像という意味で)以上の意味が含まれるのは必然。ある種の作為でもって本物映像を(不都合な部分は)切り、そして好都合な部分のみ抽出するというまさにアメリカ人が脳内操作されていた事件後の状況と同様の手法で映像による情報操作と洗脳をしようとする、ここに作者であるマイケルムーアの意思が加わるのはこれが映画である以上あたりまえだ。それは全然わるいことじゃない。政府が、公的な情報という“真実”を語るメディアによってコントロールしようとしたようにマイケルムーアもまた映画という映像メディアによってひとをあるひとつの政治的な方向性に導こうとするというお互いが同種の攻撃法を繰り返しているわけであってでも僕が不満なのはボウリングフォーコロンバインにあった根本的な映画の企画の立ち上げ時の問題提起ですらがギャグとして成立していたのがつまりは楽しかったはずなのに(コロンバイン高校銃乱射事件の犯人がフェイバリットで聞いていたマリリンマンソンが悪だと糾弾するならば彼らの犯行直前にはまっていたボウリングでさえも悪なのか、ならボウリングも規制しろ。といったギャグテイストが全編貫かれている)あのふざけた感に比べるとこれは些かまじめすぎる気がするんですけど。しかも今回は戦場でひとを殺しまくる兵士のサウンドがドラウニングプールだよとかってあそこで強調する意図もよくわかんないんだけど。ひと殺しなんてこわくてできねーよーとかっていう心優しき善人のサウンドではないからね。前作で音楽を擁護したマイケルムーアとしたらあんな野蛮な音楽きいてると人殺しもノリノリだぜっていう雰囲気がしてなんかそこ異常に違和感あったんですけども。つーか前作にあったそんな問題意識がどうこうとか以前の抜群に楽しいパワフルな突破力を感じないのが不満。もっとこうなにも考えずに楽しめる無心のロックンロールな求心力かんじたものあれは。なのにこれってやっぱシリアスになりすぎて感傷的すぎて問答無用に楽しかった前作とはあきらかに楽しみ方ちがうよね。テロルと戦争という問題を意識せずにいられないしそこに関してはすっげー観客に強いる。それだけ映画制作という姿勢としてシリアスにならざるをえないほど今回の問題が極めてアメリカ人にとってシリアスだってことだろうけどそれでさえも笑いにする不謹慎さがエンターテイメントだと思うわけです。やっぱマイケルムーアって真面目なんだろうねそうでないとあんなグロルな死体いっぱい見せてくれないものあれははっきりいってすげえ。あんな中身はみ出てんの俺抱きかかえるの無理85点
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