死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

logs

『アディクション』 (1995) アベル・フェラーラ

FI343072_0E.jpg

吸血鬼の血に対する飢えと麻薬中毒者の禁断症状とを同系列に扱うことで吸血行為とは決してなくてはならない吸血鬼の生きるための必須条件ではなくそれは依存に過ぎないのだということが理解出来ますつまりは自己の飢え(食欲ではなく)を満たす行為は生存のために致し方ない弱肉強食食物連鎖的な抗うことの出来ないものではなくて単に他人にとっては迷惑極まりない私利私欲なごとき自己満足な行為が吸血活動だという事で結局のところでもやはり禁断症状を抑止するにはなにかの欲望或いは他人による道連れ的な推奨なりに負けて麻薬を始めたとかのカジュアル感溢れる意志薄弱の人間にとってはまた同様の理由で禁断症状に打ち克つことなどは不可能なのです。そして中毒には二面性があって邪心が生み出す飢えを満たす側面と自分の本当の姿を忘れさせてくれる側面があるわけです。吸血鬼となった自分の飢えの苦しみを他人にも伝染させんとする道連れ的なモチベーションが人の道義を超えて突き動かすという最低な行動の連鎖が恐怖を生むわけです。例えばそもそも人が煙草を吸うために生まれてきてるわけではないわけですから本来不必要であるはずの煙草を吸い始めるにはなにがしかの契機と理由がその人に訪れていることになります。そして大概にしてその契機と理由とはファッショナブルな非行的なものであったりなので実はそれは人生において一度は誰かの影響下と支配或いは誰かの推奨を断りきれなかった等々の個人的な意志の敗北記録をそこに垣間見ることができます。なのでまず基本的には個人の意志がどれほど今その行動と習慣に立ち現れるのかを判定するときには極論を言えば喫煙者と非喫煙者に分けることである一定の意思レベルのラインが作れたり作れなかったりです。でもたしかにこの吸血饗宴に参加した「常識人」たちは公的には道義を叫び重んじるフリをしながらもやはり私的にはじぶんのためだけに邪心が生み出す飢えを満たし自分の本当の姿を忘れさせてくれることを望んだわけです。97点
スポンサーサイト




トラックバックURL

http://komaku.blog44.fc2.com/tb.php/124-37fe91c3

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

コメント投稿フォーム

Paging Navigation

Navigations, etc.