死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

logs

百式

このまえのぷっすまの水着ショーは恒例となっておりますがそれはぼくはなんだか録画してしまうほど大好きな企画なのですが年々その素人っぽさよりももはやプロ的な人材によるその仕込みは最近頓に開き直ってる感も否めなくも無いけれどそれはそれで登場人物すべてが水着になることは大変よろこばしいことだ
以前であればその水着パーティーと銘打たれたものへの招待に当然として来ない人もいるというのはある種のリアリティを醸しだしてもいたがしかしもはや来ない人がいるのでは全てのコンセンサスを得るのは難しいのが世の中というものです
それは振り返ってみればロンぶーの混浴露天風呂へ誘いカップ数を競いあう企画においても必ずしもチケットを配った枚数の分だけ人が来るのではないという当然の現象による興奮をぼくたちはわかちあっていた!
それがどうだ
これがテレビの威力というべきか
ぼくたちはあたりまえのプロフェッショナルな意識の元に統括された女子のストイックな肉体とすばらしい弾力に満ちたものだけを追い求めているのではないということだ
すこしばかり不完全な恥じらい乙女がカメラの前で!水着に!なる!この冬という無防備な時期に!あえて!水着に!即席の処理後が生々しくたってかまわないということなのだがその醍醐味を理解しないではこの魅力をすべて受け取れる体制とはいえないではないのかという話でした
でも当然のごとく録画してるのは各種の事情が絡み合っているのでありそれはぼくがじっくり見たいということでもありそんなじっくり見てたら妻に怒られるからでありだからこそこの寝静まった時間にぼくはビデオをみているのでありそれは一体なんだろううかってことで全てが見えるから興奮したかといえばそうではなくて例えれば状況的なエロスにこそ真実が内包されるということにぼくたちのお年頃は気づき始めるのであって特に直截的な性の表現よりもむしろバイブスのバイクにまたがった女性の裸体はとりあえず毎号確認せずにはおれない
あれはとりわけ可愛いわけでもないという匿名性も重要なファクターである
エロ本なんててんで興味ないのにというそれは状況的なエロスに他ならない
ここにエロスなどあるはずもないところにエrスが偶発的に存在すること自体に興奮するということであってこれはとても大事なことだ
だからエロを基調として構成されたエロ本にエロがあるのは当然なのでぼくはそんなエロを求めてエおロ本を見てもなにもうれしくない男の子なわけであるからして本来そこにエロがあってはいけない場所に渾然と輝くエロを発見してこそがエロの隠された魅力を引きだしているといえよう
そんな理由で今日見た白夜行もとてもエロだったという話でした
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