死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『ランド・オブ・ザ・デッド』 (2005年) ジョージ・A・ロメロ

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おれはさ見る前からものすごく興奮してたよねだって前情報だとゾンビが銃をもってしまうとかいうことであるので武装能力を身につけた(いや正確にはいくらかも衰退しない人間の知能指数の新たな脅威であるだろうか)変則的なゾンビはそれはもうあのぼくらの大好きな弱いゾンビではなくてたとえばかつてカーペンター様がゴーストオブマーズでゾンビを無理矢理死霊というかゴーストという設定にして圧倒的な人狩りの武力を誇っていたことにしようよ的な凶暴なまでにファットな反則に匹敵するけれどしかしそれはゾンビといえば動きがスローなモーションのうえに成り立つ、つまりは恐怖とは突発的ではなくても忍び寄る、歩み寄ることが恐怖の予感と強度をこよなく増大させるのだなぜなら恐怖とは反芻されることによって人のもつ恐怖心(それは或いは生命力とも言い換えられよう)は正確に学習し妄想へと至るからだ、死の予感と、死への妄想が甚大な恐怖政治を生むのだ、そしてそれは勿論生きることへの訴求力故であるというのが通常の人間の正常な反応であって怖いということは生きるための生体反応であることがここに結論付けられます
しかしながらかつてないその緩やかな恐怖と生の連関にまつわる法則が絶対的であったあの時代とはことごとく現代のキッズの性急感とにそぐわないというかたしかにあの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の白黒の時代とは体格も身体能力も無修正なおちんちんの氾濫も遙かに比較にならないほどに人類の二足歩行の安定度とスピード感の聖典記録は幾度も塗り替えられそして可及的速度で進捗しているわけであるからしてあの程度のノロイのスピードではいっこうに人間が捕獲されないままの季節が移り変わりゆくだけであるのでそーえばダニーボイルの『28日後・・・』もゾンビ光速でしたけれどああいったバイオハザード的なゲームからの逆輸入版ゾンビ観の浸透そのものが今の時代の潮流としてあるわけであるのでもはや疾走するゾンビは大前提だとかいう間違った定着の兆しを見せているのででもかつてバタリアンも全力疾走はしたけどあれはかろうじてゾンビではないという境界線上なのであるからしてここは例外的事例ということで穏便に処理させていただきますがこれはもうねロメロ様としては銃を持って人を射撃するゾンビが登場しないことにはどうしようもないのでそんな許してあげて!
と日頃から思っていたのではっきりいってどんなにくそつまらないおちんちんであったとしても無条件に100点満点を献上するお気持ちまんまんまんで臨みましたが果たして
おいおいおいなんか普通におもしろいんですけどこれは一体どういうことでしょうかぼくのロメロ様の名誉と殉死する計画は杞憂にすぎませんでしたのですがああ『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の黒人主人公の精神系譜として捉えていいだろう知恵遅れなゾンビを率いるすこし知恵遅れな黒人ゾンバイオが主役との認識で正しいでしょうか
というかあきらかに1作目のときの60年代の黒人公民権運動を象徴していたときとくらべてももはや当時の生者代表者である黒人=大衆は現代においては既にゾンビ化してしまったということでしょうか
いやもしかしたら道具をつかい火をつかうことを学習していく人類の進化形態をぼくらは目撃しているのだろうか重火器を、手に、取り、生きる者を、動く者を、撃つ!撃つ!
いや実際には意図的に撃つことは避けられていますがこの意識的に射撃訓練を施され統率された兵隊ゾンビの誕生とそれと共に勃発する人類の擁する軍隊連合とのさいごは地球滅亡まで繰り広げられるであろうたたかいへのセレナーデは次回への持ち越しということでいいでしょうか
というかここで気づくのが当初の設定のゾンビとは人間の境界線が曖昧になってきつつあるというおそろしい事実ですよね『ゾンビ』のゾンビはあきらかにあくまで物的扱いであった即物的なゾンビ像(消費社会をあらわしているので当然ですが)であったのが今回のゾンビには文明の萌芽と連帯と圧倒的な弱者であるという反故感が観客の共鳴を召還するに充分なポテンシャルでもって描かれているし過分にロメロ様の視線がゾンビ目線にシフトしている気がするのですが確かにもはや人間界においては下層部の人間と上層部の人間とにあきらかな分離原則が働いており上層部の人間のみが人間らしい生き方を謳歌できる余剰能力を持ち合わせ下層部の人間にはその上層部の人間の人間らしい生活を支えるための仕事しか残されていないという豊かさから疎外された世界
そして下層部の人間とゾンビとはおなじ地平線上のフィールドで(まだ一方的に人間がゾンビをころす関係性ではあるがゾンビ狩りが下層部の人間にとっては生業であるために)共存しあっているのでありぼくらの視線はこの物語においてはゾンビ狩り兵士とゾンビという2つを等しく媒介として獲得するのでありその共闘関係において目指すのは金持ちというなんてわかりやすい図式!高さで表現するわかりやすさはあれだがしかし現実的な問題としてはとうぜんのように弱者同士が鬩ぎ合い殺しあっているというお互いが足枷となっていて足並みを揃えることが出来ないという現状をあらわしておりますよね共食いしてるうちは権力者にとっては些かも脅威ではないのです
ということでこれ書き出したら際限ないのでもういいや
100点
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