死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

logs

『嫌われ松子の一生』 (2006) 中島哲也

60519_1_1.jpg

人生とは旅であり旅とは人生であるっていうのを中田英寿が発言してみましたけどっていうか今携帯で中田っていれたら、いや正確にはなって押した段階で既に中田英寿ってフルネームが変換なってなんて有名人!ってなったっていう話は実はあんまり関係なくてやっぱ映画とは壮大であるべきなのであって壮大であるとはそれはやはり人生のことを指すのであり映画とは人生を描くべきなのである。
だが壮大な人生というものを2時間という時間的制約のある映画という体裁で表現するにはその時間という概念を超越するのが至上命題であるのは言うに及ばないが、この映画がそれを可能としたのが無駄に煌びやかな懐かし地獄70’s以降のサブストリームな世相史とアイドル昭和歌謡絵巻をバックグラウンドにすることで松子の人生を巡る頁の疾走感が増し、またその輝かしき時代とその後の凋落もまた松子の人生グラフのそれと重なったことでぼくたちの昭和は失われたのだというダークサイドの毛穴がひらきっぱなしだったですけどなんかでも意外とこれって迫力なかったよね。ひどかったけどぜんぜん胸に差し迫ってこなかったから別にひとの一生って興味ないんだったら徹底して興味ないのかもしれないけどそれこそが映画とは一生を描くべきであることの根幹を成すわけで50年間を2時間で追いかけられることそれ自体が壮大だ!だから映画とは壮大であるべきであって反則なのは妹でてくるたびおれ泣いた55点
スポンサーサイト




トラックバックURL

http://komaku.blog44.fc2.com/tb.php/234-23a4e041

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

コメント投稿フォーム

Paging Navigation

Navigations, etc.