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『さようならCP』 (1972) 原一男

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なんか基本的になにしゃべってるかわかんなくてすげー困った。
CPというのは脳性麻痺"Cerebral Palsy"の頭文字なのだそうですがそんな障害者であるからといって自ら社会から隔離されて暮らすことを拒否しあえて不自由なままの剥き出しのいかがわしい体で街頭活動(なぜかポエムの朗読!)を起こして人々に主張する道を選んだCP者団体「青い芝の会」に迫った原一男なのですがそもそもなぜにかれらと意思疎通が滞りなく図られているのか謎!会話が謎!貴様らちゃんと日本語しゃべれやビチグソが!!とか俺が思った矢先に原一男とはなぜか普通に会話が成立していて、あ、あれーみたいな。
ともかくぼくのようなお金持ちにとっては解読不能な宇宙言語が飛び交う戦場なので基本的に僕ちんすげえ眠いというかでも障害者における性の問題に切りこまなきゃ意味無いぜとぼくは常々おもっていたのでちょっとした強姦話とか切々と言語障害で語る姿は必見であります!
こわいよね。
しかしながらこの急進的な団体の積極的に不自由な体を人前に晒していこうとする姿勢、それは隠遁生活を強いられることは自ら障害者差別を容認することだとの認識のようですが果たしてそうでしょうか。町中での人々の反応、それは総じて「お気の毒に。」という言葉に集約されるようにその不自由なからだが健全者の群集のなかに存在することによってより点としての不自由さが際立つというか自ずと自分と自分以外との他者との紛れもない差異を感じずにはおれないというかいやそれは本人達が自覚していないのだとしたらそれはもうだからこそCPなのだとしかいいようがないというか社会から隔離して生きることが出来る社会、それというのはそれこそ極めて社会の優しさであるのだと思いますが。ましてやその街頭パフォーマンスにおいてしっかり募金箱を設置しているあたりに既に差別を自ら認めているのであり金銭を授受することはつまり「お気の毒に。」という人々の厳然とした自分に対する差別的視線を受け入れることでもあることに気づいてはいないのでしょうか。彼等は彼等の姿を積極的に見せられる側であるぼくらのどうしようもないこのいかがわしい気持ちを理解していない。65点
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