死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

logs

『弓』 (2005)  キム・ギドク

096xj.jpg

ごめんこの前の勢いのままに連続投稿を試みようとしてたのに卒業アルバムでもし俺と彼女がつきあっていたとしたら、といったもしかして脳内ゲーム活動パート2が活発におきてしまって収拾がつかなくなっていたので映画の思い出を辿る会が中断していましたこれもぼくの不徳といたすところでございますおちんちんを見せるから許してねペロン!
ということではっきりいま言えることはこの前以上にもはや記憶を呼び起こす作業はイッツデンジャラスということでありましてこの映画はとてもおぞましいでしたような感じだったように思います
そして言うなればおぞましいのは情熱のことでこんなにまでもおぞましい真剣さを見せられるとたぶん誰もが例えそれが年端もいかない女の子であったとしてもこの人しょうがないっかなちょっとくらいならおっぱい触らせてあげてもいっかな的なこの人すこし可哀相目線で見てしまうという間違った意味での寛大さの解釈をしてしまうほうの路線で気を許してしまうことがありますけれどもそのちょっとだけ許すというそういう小さな親切な心を地球上の女の子全員が持っていればたぶん老人の優先席とか殺し合いになるくらいものすごい譲り合い合戦がおきるとおもうしましてや性犯罪とかなくなるおもうし満員電車で揺られながらついでにおっぱいも揺さぶってしまうといった手順で最終的に痴漢の執拗な手の行き着く先がパンティーの奥深くの茂みに滑り込む直前、かんがえてしまうことが一瞬今日のパンティーはあいにく可愛くないといった理由でやはりその手を押さえつけていやよとかたくなに拒否をするとかそんな違う意味での拒絶をしてしまう、そんな男女の思い違いがあるくらいがちょうどよいそういう世界であって欲しいっておもうわけですがそれも考えてみれば誤解ということであるしだけどもそれはとても平和な気持ちでもあるしなにより健全でいいことだとおもう先生それまちがってないとおもうなつまりおぞましいっていうことのその迫力と真剣さはつまりある局面ではみせてはいけないっていうことで真剣さは思いのことであるから許せてもその迫力をともなった行動になってくるとちょっと怖いというかつまり有害区域に達するということでやはり本気さには綻びがあったほうが女の子としてもしょうがないっかな的な気の許すことによる自己弁護機能が有効にはたらくことのエクスキューズを取り出しやすいのだがそこに本気さが加わってくるといかんせんそこは許すとかの次元ではなくて勝ったとか負けたとかの話になってくるのでこれは女性としても負けたとはいいたくないわけであるのでやはり男としては勝たせてあげたといわれるくらいのかんじになってしかるべき所存であるようにおもうわけであるのでした141点
スポンサーサイト




トラックバックURL

http://komaku.blog44.fc2.com/tb.php/303-b0adf007

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

コメント投稿フォーム

Paging Navigation

Navigations, etc.