死球マントラ

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『サマリア』 キム・ギドク

サマリア [DVD]サマリア [DVD]
(2005/09/23)
クァク・チミン、ハン・ヨルム 他

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エリックサティの3つのジムノペティに導かれながら聖母に抱かれる人間の顔は子供のように無垢に戻るそれがたとえハゲ散らかした大人のそれであったとしてもだがプリクラに写る少女ふたりのその姿はイスラム原理主義の過激派のさながら殉教者のような装束に身を包むことでその後の殉死と巡礼の旅を宣戦布告するかのようである
客を次々と仏教徒にする娼婦バスミルダの姿をなぞるように自身も友達が寝た男たちを遡ることで救済と浄化を与えていくそれはあたかも聖なる儀式として正当化されていくようであるがいつしかその行為も父親の目に触れることで儀式の欺瞞は必然的に罪の様相を炙り出し“前科”の罪からの精神的な開放と物質的な返戻を得たはずの男たちは結果として新たな罪を被ることになる
バスミルダでは買春する少女たちが罪を負い、墜落死した少女は身を投げ出したことで罪は償われるがその友達の死に加担したと自責する少女は手帳を頼りに順に男たちと性交することで死んだ少女と同罪化し自身の罪(の意識)が償われサマリアでは買春を“再犯”した男たちが罪を負いやはりある男は投身自殺によって罪を償いソナタでは少女の警官である父親が買春した男を『石』で撲殺し復讐を遂げることで殺人という罪を負うという同じ事象のなかにでも立場と視点の違いで罪あるいは痛みは連鎖し結果として誰しもが加害者と被害者の両側面を持ちそれは円環のなかを巡るかのようにすべては等しく同罪にすぎないが故に誰もが裁く権利を持ちえないという社会の帰結を得る
警官を連行する警官の俯瞰絵も然り
映画では只の『石』でさえも人を殺す凶器とも成り得るし歩みを阻む障壁とも成り得るし、道標とも成り得る
その多面性を説くのである97点
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