死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『レッド・ドラゴン』 (2002) ブレット・ラトナー

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これはいいねえ目玉刳り貫いてそこに鏡挿し込むとかってなかなか死体創作に対する思想と哲学と魂をぶちこんでる芸術性に迫力あるもの。基本的な日常生活においては自分の姿を映し出す鏡に対しては過剰な嫌悪感を示しつつも時に死体を演出する場面においてのみ鏡を観客に見立てるという、時にその己の魔界的な姿を認知させる為にショーアップして世間の脳髄に事件を刻み込む手法がありますがここでは最短の観覧席を設けますつまり被害者こそが最前列のかじりつき生中継の観客であると。ひれ伏せと申しております。と思いきやでも実際には認知させたいのは世間ではなく自分自身なんだ。自分に巣食う魔物ではなくて神になりたかった男の格闘の歴史だからだ。その壮絶な光景は自分が神に接近してるという自覚を促す行為に他ならなくてだから元来見る機能を有する眼球を真っ先に穿り出してからに鏡の破片を眼球の代用品としてつっこんだりしてこれは殺される側に視力があるのは重要ではなくていつもは自分の姿を見ることのない噛み付き魔が自分を見る為に視力を取り戻す行為であるということよね。死を統率する力を掌握する神への変身後の姿は見るに値すると。文字どおり背中に魔物を背負っている形である噛み付き魔が自分の魔物を見るにはなによりも自分の目ではなく他人の目が必要であったと。正確には必要なのは他人の肉体を所有することにあって即席の鏡面眼球に映る自分を見る行為というのは自分の目を駆使してるわけだけども死体そのもの、殺害そのものの実現それこそが神への接近を重層的に可能とするよね。実際角度的にひとりで背面見れないからありえない体勢で首が裏返しなるくらいの背筋力と魔力が必須なわけでしてそんな神に近づく崇高な行為として 自分を見る 機能を有した死体を媒介して改めて自分を照らし出してみる自己投影システムとかまったくのオシャレさんですよな。なかなかの粋ですよな。でもって殺害ショータイムは自分ではないなにかが憑依したりしてるわけですからその時は他者の意識の介在する視線でもって目撃されるべきではなく死体の目に埋め込んだ鏡こそが観客として、つまりは自分が自分の変身した姿の第一の観客であらねばならぬという神の鉄槌の証人には神々の指紋を埋め込むんだという自覚の全力投球。変身前の忌むべき姿を嫌悪しあらゆる視線からの遮断を励行していた男が唯一心を開くのがやはり盲目の女であると。見れない者の前に神は降臨しないんだ。だからあれほどの接触も可能。でもかといって魔物に自分を食われないためにむしろ食ってやるみたいな気合はすばらしいけどマジに絵を食うのはどうかと思ったよ98点
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