死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『ミスティック・リバー』 (2003) クリント・イーストウッド

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なんてフィストファックなんだ。しかも尿道を拡張されたほどの鬼のフィストファックだ。だいたいにして冒頭からして製作マルパソプロダクションなんてクレジット表記されたので俺はすさまじい戦慄にびびったね。イーストウッドはあれか?渡邊文樹と同系列なのかと。仲間かと。いやたぶん違うマルパソなんだろうけど日本とアメリカで奇遇ですねってそもそもマルパソって何語ですか。しかしこれほどの屈折したフィストファックが誕生してしまっていいのかというほどに強すぎるので僕はそんなマルパソに着目してる場合じゃないけどそんな轟音と劫火の物語をまえに徹底的に死灰は鎮圧されたんだ。
“君の立場になれば 君が正しい 僕の立場になれば 僕が正しい”とボブ・ディランは言ったけど、つまりはそういうことだ。正義という定義には如何ほども根拠はない。だからその世界を支配する者が正義を決定するんだ。曖昧な境界線上の正義感でもって罪を正確に裁くことなくすべては暗黙の了解でもって正義が主張され正義の名のもとに正義を遂行し正義に支配される町だ。響きだけ見ればなんて素晴らしい町だ。でも正義というのは一方の立場からしてみれば美しいかもしれないけどもう片方の立場からしてみればその根拠は美しくないということだ。劇中カーペンターの『ヴァンパイア最期の聖戦』が映る場面があるけど一方的に人類の正義の制裁によって大虐殺されるヴァンパイアの世界にもきっと正義があってその正義に則ったがためにきっと人類の脅威という形で出現してるだけに他ならないはずなんだ。その正義の玉虫色的な側面。ここでいう正義に異常を発見する反応こそが正常だとぼくらの立場は言う。この異常な屈折した正義を声高に主張しそれを正統派としていっさいの躊躇もなく正義だと信じて疑わないことを当然として平然と生きる術に長けた異常な世界を見つめることこそが僕の正義の根拠だ。重要なのは公園で発見される娘の殺人事件ではなくてまさに正義によって任務遂行された川に沈められたまま永久に浮かんでくることのない殺人だ。そしてその正義に異議を唱える者も現れずに沈黙し追従することがまさに正義を遵守するですとまったくもって正義感に燃え尽きててなんともおそろしげな空気だ。この重量感のある鎮魂歌的空気はこの正義という名のもとに行動されるすべての事象の異常さを告発するキャラが出現することなく辺り一面異常に覆い尽くされているという救いのなさが臨界点を突破してる絶望だ。まるでイラク戦争で唱えられる正義という言葉のようにそれは不気味な誓約書が公布されているんだ1000点
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