死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『ピクニック at ハンギングロック』 (1975) ピーター・ウィアー

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なんてまばゆい!まばゆいのはおそろしいことだなぜなら失明するからだ。失明するのが何故にこわいのかは今は想像でいうしかないわけであるがというのも今は正確に目がみえるからにほかならないわけであるからでそのトワイライトな恐怖とは想像が断片的であるけれどすくなくとも今とちがうという、その変化することはこわいにちがいないけれどそれは無菌状態の室内でいっぱいおおきく欠伸する俺がとても綺麗だということに他ならないわけだがそれがもし失明してたらたぶん手探りであるくことが余儀なくされるのでそれはかなりの高確率でほぼ階段から落っこちるわけだけどそれは視覚的に落ちている自分のさまがおそろしいのか身体が落下している速度のさなかに身を投じることが恐怖に直結している謎の正体であるかはじつに謎だ。謎はうつくしい。解き明かされない謎は永久にうつくしいけれどそれは解き明かされない謎自体が美しいままなのがすばらしい滑らかさが潤滑してるわけではなくてきっと謎に取り残されたぼくらが著しく退化してしまう時間のおそろしさがうつくしいのだ。なおさら失明中だということで頭は瓦解している昼間の事件性な逮捕劇であたまはいっぱいだ。きっといやらしい想像はあたまの重量がことごとく増すのだろう僕の頭はすこぶる重くなってしまってほとんど不安定な厳粛な綱渡り師として切れ味は増している。
想像以上だ。想像以上に切れてしまうことは危険だ。だって間違って切りたくないところまで切れてしまうからでそれは切れていないところを切るのは簡単だけど切れてしまったところを切れる前の時代に巻き戻すには難しい。たぶんいっぱい触られるのに憧れている。いっぱい触られると微かに固まってくると思う。思う、というのはいっぱい触られてはいないから思うだけであってそれは謎だ。謎は美しいと思う。思う、というのはぼくが抱え込んでいる謎はもしかしたら今後解明されるかもしれない可能性を秘めている秘め事なわけだからにほかならないわけで暫定的な謎という位置を暫定的に確保してるにすぎないからこそいまは思っているにすぎないわけであるのでただひとつ確かなのは今の解き明かされないいくらかの謎はいまのままでも十分に美しいということであってできるならこの謎はずっと謎としていてくれないか。頭は重い方が頭よくみえるとおもうしいやみえる、とは言ったが実際には見るだけではなく重さを量らなければいけないのでいっぱい触ってくれないと俺の頭のよさはわからないだろう。この重さに体はおそらく右にグラグラするだろう。震度9ほどはあるであろうその存在自体の重量を脅かす自家製の揺れはいみじくも心象風景を拡散させるだろう。なぜならまばゆい煌めきを凝視するほどのすばらしい体躯を持ち合わせていないことに気づいていながらもまばゆさに対抗しようとする車輪に腕までをも巻きこまれて壊れて折れ曲がった通路のぐにゃぐにゃが相当に気持ちよい現象だ。縄師は咲き乱れている標的はおまえだからだ100点
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