死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『復讐するは我にあり』 (1979) 今村昌平

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殺人詐欺強盗を繰り返して逃げる凶悪犯の男の捕まるまでの78日間の話でもありその親にしてキリシタンの親父が自己を律する足枷となっていた宗教から自らを破門にして自分の感情行為を正当化して息子の嫁を堂々ともみもみするまでの感動的な軌跡。つまりもうそんな隠れキリシタンとして過ごさなければいけなかった人生だなんて完璧に屈折するよね。隠れてるからね。かくれんぼでもあまりに発見されないとむしろ自分から存在感を発揮したくなる微妙な乙女心というか子供心わかるよね?だから子供時代の秘密感は苦痛に違いないんだよね。そして幼年期からのなんの疑問もなく習慣づけられたその信仰という日常がある段階で自分以外の他人とはあきらかに違うという確信をもったときの疎外感はそら半端ないよね。そのパワーといったら例えるとかくれんぼでおもいきり全力で隠れてしまったばかりに全然発見されずにみんな諦らめたというか存在をすっこり忘れられて全員帰宅してしまって気付いたら自分一人で夕方に家に帰るというはずかしい事態に感じる疎外感の6倍はあると思うね。そらあれか一身上の理由により体育の時間のプールの授業に見学を余儀なくされる女子の思春期のはずかしめ的なプールサイド際の孤立と似てるねえあれもなにげに宗教上の理由だと思うんだよね先生はそれはもうぼくら男子には秘密にしてるけどすっこりお見通しさ。だからそんな宗教上の理由から宿命づけられた社会との断絶とはずかしめ的な挫折が犯罪者としての素質をすっこり立派にさせるねえ。だからきっとプールを見学した女子の星の数ほど凶悪犯罪度増してるはずさ。そしてキリシタンの父が晒し拷問的な虐待を受ける光景が自身の信仰と社会への不信感として培養されるには充分なインパクツ。そのくらい自分と自分の親の存在が社会に覆されるとなると次の段階は自分が追い込まれた状況を作り出した元凶である(キリシタンの)親を憎みますのは当然。だいたいもうこの男はプールの授業時間に見学する女子的な差別感をおなじプールの更衣室で周囲の好奇な視線でひしひしと実感するはず。なぜって割礼でもうすっこり一皮向けた大人にひとりだけなってしまってるのでこの孤独感といったら半端ないはず。推定8歳時で亀頭まっくろだなんてそら修学旅行きついもの。しかし其れゆえ後年もてもての人生が約束されてるだなんて人生わからないものです。しかもまっさきに殺すべき父親には復讐を遂げることなく無関係の怨みのない人々を殺しまくるのですから人生わからないものです。100点
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