死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『バッド・ルーテナント / 刑事とドラッグとキリスト』 (1992) アベル・フェラーラ 

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なんて悪徳なんだ!!刑事なのに!ゾクゾクするぜ!つよすぎる!無免許運転のギャルをつかまえて不当な要求しながらも路上で自涜という高度な羞恥心と法を駆使したテクニック使うところなんて究極すぎる。車のナンバー丸出しであの勇気は最高。あんた最高!なんて命知らずな行動ばかりなんだ!こんなアナーキックな刑事は実に好感度たかすぎて手に負えないので僕は銀河の一部になりました。なぜなら銀河系の広大さはキリストの慈悲に勝るとも劣らないスケールだからです。ということで悪事を働くのに最も適した職業それは刑事です。なぜなら悪の倫理を完全に掌握できるからです。ときに警察という国家に身分を保障されたと同時に悪徳な振る舞いをも正しく把握できすべては庇護されるからです。そして悪人をやっつけてもそれは相手が悪人だったからという理由で町のみんなからは尊敬されるからです。たとえやっつけた本人が悪人だったとしても悪人が悪人を罰しても許されるのは警察は悪ではないとの前提があるからです。でもこれは悪徳刑事の話です。パトカーのサイレンを鳴らす行為それが例え私用であろうが道路を占拠する車はみんなパトカーに道を開けるのです。それは警察という身分が我々まちとまちの住民のために行動しているのだという共通認識と信頼があるからで何故サイレンを鳴らしているのかその理由如何に係わらず有無を言わさず道を譲るのですそれは法律だからです。だから地域住民みんなの安全と善人であるみんなを悪から守るためという法律を盾にしてパワーを駆使する刑事の悪人ほど悪行を容易に実行できる逸材はないのです。そしてこの男には彼なりの悪の倫理学があるのです。つまりは悪人がひどいことされてもそれは悪人が基本的にひどいことをしているのだからひどいことしてる人はひどいことされてもいいのだしむしろこっぴどくひどいことされるべきだという倫理です。悪徳刑事は一貫して悪人にひどいことをし続けます。それはある種悪を制すという意味で刑事の振るまいとしては幾らも刑事的な本質から逸脱はしてないような気もしますが多分気のせいです。だって本気でひどいことばかりする威力だからです。つまりそれは悪人が悪行を重ねても改めて悪人だとはいわれないということです。悪徳刑事はじぶんが悪人だという正しい認識があるので悪人は身分に係わらず悪人であってもいいという倫理を構築して自己弁護を計っております。だから悪人が悪人にひどいことされてもそれは自分も悪人なので自分にひどいことした悪人に対して改めてそれはひどいとはいえないのです。なぜなら悪人は今まで誰かしらに悪行を重ねてきたからいざ自分が悪行の犠牲になろうがそれは誰のせいにも出来ないからです。しかし悪人が善人になろうと努力したときそれは自分に嘘をつくことになります。それはカトリックの教えだろうが悪人は悪人にしかなれないからです。悪人のする悪事を許しても更に悪事を働いてその悪事が許され続けることを期待するのが悪人の生き様です。悪人が善人になろうとしてもそれは更なる悪人にひどいことをされるだけです。悪人は悪人のままで悪を貫き通すしか悪の世界では生きていけないからです。5500点
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