死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『楢山節考』 (1983) 今村昌平

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もうこれ親を山に捨ててくるなんて悲しいとかいうのよりもそんな山に登るのすげーめんどくさい俺からしてみたら。その辺の川に捨てて勝手に自分で流れていってくれるほうがよほど合理的だと思ってしまうんですけどそれはすなわち山に登る行為にこそ意味があるってこと。
自分が親を山に捨てたからには自分も子供に捨てられるという覚悟を迫ってるよね密かに。自分が親殺しの伝統を遵守したからには子にもまた並々ならぬ決意で持って自分殺しを遵守させようという、その覚悟こそが伝統を確立させているわけです。しかもただ親を廃棄処分するのではなくその行為を儀式的なものに昇華することで殺人の正当化が図られます。山はこの土地のなかでは天国に一番近い場所であって山に登る行為は天国への階段をのぼる崇高な儀式だと絶対的な「伝統」という名の法律はいうわけです。たとえ実態は不要な老人を抹殺する口実の元に行われる残酷な労働ではあってもだ。そういう悪しき非人道的な伝統がまったくあたりまえの事として受け入れられ、まるで人々に疑問を抱かせることなくむしろ正当化されるほどの洗脳のためにこういった自然崇拝とか村の信仰の多くは伝統的に機能してきましたよね。こわいよね。すなわち親を山に捨てる作業にも神への貢ぎ物的な名誉ある労働的側面を与えて行為の神格化が成され更に見捨てられる者にも神への供物として死ぬことの幸福的な有り難い付加価値を与えて潔く死んでいただくわけですね。こわいよね。嫌だよね絶対こんな土地逃げ出したいもの。というかあの山の頂上の屍で埋め尽くされた暗黒地帯で夜が来るの最高にこわいんですけど。さむいし。することないし。でもそんな逃げ出すという感覚がそもそもこの土地には存在しないし世界はこの土地で完結するし生も死もすべてはこの土地のルールで完結しているのです。日本に生れてよかったですねこれも日本だけど。100点
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