死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『殺人の追憶』 (2003) ポン・ジュノ

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そういえばヘルツォークの『神に選ばれし無敵の男』も釘が足に刺さってたの適当に放置してたらなんか切断とかっていう凶暴な展開あったけどあんな釘刺さると人間の足は死ぬんだね俺気を付けようとおもいました。あれって現代の医学力をもってしてもそうなの?すげえ威力
ということでこれは追憶なのですから刑事が過去に扱った事件への追憶ということでもあり同時にいまだ捕まっていない犯人自身の追憶でもあるという非常に凶暴な様相を構築しているわけで犯人は事件後に現場に立ち返る習性があるという劇中のあの殺害陵辱事件現場において活字媒体情報のみを参考としながら下着パーツのみで妄想を無限に広げながら自涜する素晴らしいポテンシャルを秘めた天才的なお方によってその習性の真偽のほどははぐらかされたもののその結果を最後にぼくらは目撃するわけですしかしながらなぜに追憶することに意味があるかといえばそれは現代では罷り通らない未解決にうしろめたさが存在するからにほかならないわけであの時代はすべてがうしろめたい感覚に罹患しているのでしたなぜならうしろめたさの後遺症としての悶々とした爆発力の時代をいまは生きているからなわけででもきっとその悶々としたコスモのなかに胎動するもののなかにはおそらくは後悔という省みる行為も鳴動しているわけですのでそのような回顧録のさきの頁にはおよそ救いが待機している予兆ともいえるわけで眼球がもしくるくる回転するようなすばらしいファンタズマな構造であったならどれだけ一体逆サイドである球体の裏側方面を見つめたときそこにどんな光景が展開されているのか想像するのはすごい楽しい天国なので今から僕は練習してみるけど考えてみれば眼球自体はつねに目を開いているわけで瞼が閉じることによって訪れる暗闇がさも眼球という球体の不思議自体がその視界を閉ざしてしまうかのような錯綜と迷走!しかし実際には瞼が視界を遮蔽するのであって事件もまたそれ自体が目的を失うのではなくてそれを取り巻く周辺事情が事件の意味を閉ざすわけです。周囲の興味と集中は事件の残虐度にかかわらず褪色するのです。なのでじっさいには眼球が瞑目するわけではないにもかかわらず感覚的には眼球自体が瞑目するのではないかといった脳内的な情報の錯覚に陥るわけではあるがぼくの仮説からするとすくなくとも眼球が横に回転するときにはある程度瞼は閉じてしまうのが礼節を重んじる日本人的なものだといえるだろうそれは高度な恥という重要な感度だ。遮蔽幕を下ろす主導権は事件にかかわる人物各々に掌握されているわけであるしまた刮目する権利もまた当然のことながら彼らに委ねられているそれは元刑事とそして犯人にだ。研ぎ澄まされた骨折はさきのほうにいくほど鋭い切れ味であるのは紛れもない階段を上り下りする作業の労働時間に匹敵する。それは無駄なことだ。でも無駄なことをやっていたことのうしろめたさを見るのはすごい楽しい。この穴が生きれない亀裂的なうしろめたさの感覚に徹底した人間には業火にまどろむ聖人の像が重なる。なんて神秘的でどうしようもない気候だ。気候は時代を象徴するだろうなぜならそのうしろめたさを土地の起伏に記憶するためだ。114点
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