死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『スパイダーマン2』 (2004) サム・ライミ

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この女1に引き続き勘違いぶりが甚だしくてたまんねえよ!じゅるり!おっぱいでかいからといって偉いとはかぎらないのに。いや偉いけど。でもメガネが好みそうな不良っぽさが都会に洗練されててビッチっぽさが足りない気がしてそこ不満。1のときはそれはもうアバズレビッチぶりが史上最強の憧れの的ととして君臨してたからね。それが舞台女優としてブサイクサクセスしてしまうという理不尽さが必要以上に遠い存在としなってしまうことで不良性が失われつつあるのが不満だけどそれ以外はこれほぼ最高に完成度のたかい映画。なにせ婚約してたのにスパイダーマンの正体というネームバリューにすぐ飛びつくビッチさが健在で一安心ですけども。しかしなんてあんな人間的な脆さと対峙せねばたたかいの意味を理解することができないのかというとヒーローが戦うべき敵は基本的には人間の犯罪でありその犯罪を撲滅すべきうごく警察のサイレンに反応しその援護射撃といった側面がより対人間兵器的なヒーローというかあくまで超人ではない人間同士のたたかいましてや元人間の敵もあんなにも人間そのものに蝕手がくっついただけの突然変異のおぞましい科学。スパイダーマンも手から糸出る以外はこれといった武器もなく能力をフル稼働してるにすぎない限りなく人間に近しい存在のたたかい方に限定される存在であり敵も人間の肉体に加味されえたタコ足のみが非人間的ないわば超人さを醸してるだけであってあくまで基本は人間でしかないというおぞましい肉体のカオス。このあまりに人間的な戦う意味に人間的な虚栄心と葛藤が含まれる者同士には苦悩が付きまとうのであり人間の存在を投げ打ってまでまもらなければいけないものそれは人間のことであるだろう。だからそんな彼らを応援する人間の友情努力勝利が網羅されておるわけであくまでスパイダーマンとは人間なのであり人間がスパイダーマンであるにはそれはスパイダーマンでありたいと願う意思そのものが重要なのであり(事実、ピーターが責任から逃れようとするときそのスパイダーマンとしての能力も弱体化する)その宿命を背負おうとするのは人間であり世界救済のために生きるかどうかは本人の意思に全権は委ねられ重要なのはそれは決して強制されるべき義務ではないということである。ピーターはいつでもスパイダーマンとして生きることを辞めれるのでありそのヒーローとしての生き様をやめることを誰が責めることなどできようか。でもモテるためには人間は必死にならなければいけまい。人間以上の能力を獲得した証拠としての視力回復現象があるがしかしあれはなにより超人的なパワーの象徴としてよりもモテの象徴と捉えたほうが容易い。151点
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