死球マントラ

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『白い花びら』 (1998) アキ・カウリスマキ

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べつに本筋30分で事足りそうなところをサイレントで字幕付きにしてるがゆえに収録時間が倍増とかなんかそんな感じさえするんですけれどだからといって自動車の音とかドアの開閉音のときには現実音が鳴り響いてサイレントであることを破壊してたりで完璧にサイレントムービーとして忠実なわけではないという要するにそこになにかしら単なる懐古趣味ではないことを宣言すると同時に白黒でなければならない意味と映画の意図するところあったりすんだろうけど基本的に台詞無しで環境説明を強いられるので行動すべてが劇画調でなにより音楽が壮大すぎて実にぼくそれ鬱陶しいんですけれどなんとかなりませんかって話。でももしやこのいつになくヘヴィーな展開が違和感なく激走するにはサイレントの体裁を拝借する事でいくらか非情の極致を中和する作用があったりするのかもしれんという第一の発見。そしていつになく単調であることを拒否したかのような激動展開を繰り広げるには映画的なアクション力を正当に発揮する必要性があったという第二の発見。そして基本線がサイレントであることによって自動車の発する音が物語における警告ともとらえられる不吉の死兆星的な記号の役割を担うという映画装置の再発見だしだいたいにしてあの女はいつにもまして鉄仮面。かわいくない。いつも思うけどかわいくない。とにかく実に内容的にはカウリスマキにしては思いのほか生々しいヘヴィー不幸なんだけれどもトーキーのおかげでいつものカウリスマキのポップ性と同等の効果に仕上げてるよ。でもとにかく俺この展開嫌いっつーの。女も夫のところに逆戻りしたいと思うのも騙されたと気づいてからだという結局のところもし騙されていなかったとしたら女は金持ちと幸せに暮らしましたはい終わり、ですべて完結しがちな非情。あらためて夫の魅力再発見とかあれも結局のところ今陥った自分の境遇からの脱出を図るための自分なりの精神的な逃げ道を確保するための都合いい解釈としか思えないし要はどっちを選ぶのかはどっちがより贅沢な生きざまかであるかだけでこの女はただ自分をより高みに押し上げてくれる境遇を望むに過ぎずしかして夫を再度選ばなければならない積極的な理由はどこにもないという。それは強烈にこわいわけだけどそれが現実なのね、ともしやそれカラーとリアル演技で繰り広げられたら玉手箱的な娯楽要素が消滅するというこれはぼくのカウリスマキを好きなポップな不幸要素を破壊しかねないところを微妙にドリーミーに緩和するのはほかでもないこの手法。まあでもあんま好きくないというかあんまおもしろくはなかったかもだ57点
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