死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『桜桃の味』 (1997) アッバス・キアロスタミ

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なんだこれ。自殺したい男が自分寝っ転がった穴にあとから土かけてくれる役目の人を探しまくる話ってなんだそれ。だいたい自殺する時それ人に云ったら駄目ね。そんなみんなに大公開だなんて気持ち悪い行動だ。しかもひとにお願いする時その態度はいかがなものかと思ってしまうくらい一方的なのでそら頑なに断られますって話だよね。気持ち悪いね。そんなよりによって神学生とか宗教上の理由だからとか人民の命と安全を守る兵士だからとかそんな事より根本的にこの男は無防備に車に乗ってしまういたいけな男子たちに悪戯しそうな気配濃厚なんですものそら身の危険を敏感に察知して車から逃げますとも。というかそんな自殺宣言しまくってこれ絶対たとえその依頼を誰も引き受けてくれないのだとしてもそんなに大勢に知らしめておけば当日誰か気になって仕方がない親切心から引き止めてくれないかといういやらしい魂胆だよね。逆にこれあれだ自殺扶助はできないとかみんなもっともらしい清らかな発言してるけど実はその穴に集合しない奴はひとの自殺を見届ける気もないけどかといって本気で人を助ける気もないということだ。人間なんてそんな人の死にいちいち真剣になれないんだよね。俺も関係ない人が死んだってそんなすごいどうだっていいもの。だからこの男とか普通に砂利に頭突っ込んどけみたいな効果的なひとり埋葬術を伝授してあげたいよとか思ったよ。だからこれは人間讃歌的には最後みんなこの男の出会った人たち大集合すべきなんだけどたしかに人の価値とはその人の死によって計り知れると聞くよね。つまりは葬式の規模なりその死を悼んで大集合する人の数こそがその個人の死が(人々にとって)重みがあるのかを感じ取れる唯一の機会だという。そんなおれ死んだら悲しんでくれる人がいるのかなというか結構あまりいなそうな雰囲気をかもしだしてるのでそれはもう迂闊に死んでしまってはいけないような危険を察知してしまってるので自殺なんて考えられないよねまじで。自殺して脚光浴びようなんてそんな大注目な方法はよほど自分が他人にとって重要だと思われてるという自信がないと出来ないぜ。だいたい苛めアピールに対しての自殺なんて自分の死がそれほどまでにも尊大だとの認識がないと効果は期待できないからね。それって自分の死によって相手に自分の存在感の重みを攻撃力へと転換する方法なので当人は自分の死に価値が(つまりは自分の生が)大いに巨大だとの認識のうえに成り立つ恥かしい思考回路のうえの反撃なのですけど苛める側は実はそんな苛める相手の生死の価値なんて微塵も感じてくれていないのですごいどうでもよかったりするという。ただ社会の反響が制裁的なダメージを与えているのに過ぎなくてそれは個人の(尊大だと思ってる)死そのものが影響を与えているものではないので自殺するひとほど自分にはよほど価値があるのだと錯覚してるんだと思うんだよね。人の死の価値なんて他人にとってはおそろしいくらいねえよ。けっこう自分が思ってる以上に自分のことは他人にとって価値ないよ。だから人の死にいちいち真剣になれるなんて嘘だね。というか多分あすこの穴行くのめんどくさい。普通にあの山道めんどくさい。人生にとってめんどくさいことはそれがたとえ人助けだろうと人命に関わることであろうともめんどくさいことはしないんだよね実のところ。俺なら絶対しないものあんな山。たけー。61点
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