死球マントラ

全員しぬまで人形かぞえる

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『回路』 (2001) 黒沢清

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なんなのこの不穏な空気!そして不審でうろたえるぐらい違和感ある距離感!なんつーか寄るべきところに寄らずに認識不能のぼんやり不鮮明であることへの不安、あるべきところにないことの不安、ないはずのところにあることの不安、いるはずのないものがいることの不安、みえるはずのないものがみえることの不安!!という不全、不調和、不自然という人間の視聴覚の限界が生みだす齟齬の不安感が画面に渦巻いてる。そしてその自分の経験則からはじき出される予測の描き出す射程距離からはみ出すもの、想像力を裏切る事態、つまりは未知なる領域、未知なるものと遭遇した時、人はそれを『恐怖』する。この映画では人間の視覚では捉えられないはずの、見えないはずの、認識できないはずの幽霊が、はっきりとその存在を世界に示す。カメラが寄ってその幽霊の顔を画面いっぱいに捉えるわけでもなく幽霊との距離感はあくまでその個人が視覚として捉える距離。
また画面の中で人が幽霊に遭遇してるさまを眺めてる私たちとの間にも存在する絶対的な距離という二重の距離感の不具が醸し出す得体の知れない違和感。未知なるものがその距離を詰めてくる恐怖。よろめく動き。未知なるものがただそこに存在し動き、歩くという我々生きている人間と同種の所作でさえもその主体が幽霊であるというだけで怖いということの意味。人を襲うわけでもなく危害を加えるわけでもなく只見えないはずのものが見えるということの恐怖の意味。それはいつもそこに存在するのでありただ通常見ることのできなかっただけであるという幽霊という存在の意味。黒沢清はホラー映画が、いや幽霊というものが怖いというのはどういうことなのかについて問うのである。幽霊は確かに存在する。それは超人的な力を持つわけでもなく瞬間移動できるわけでもなくただ我々生きている人間の世界の視界から消えてしまった存在なのだということの意味。人が死ぬということの意味。箱舟に乗ってどこまでもいこうミチと一緒なら80点
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